5月5日、「第4回尊皇倒幕のバイブル・靖献遺言を読む会」を飯田橋で開催した。今回は『靖献遺言』「諸葛亮」の項を読んだ。
諸葛亮は諸葛孔明として巷間に知れ渡っている。諸葛亮は蜀漢の劉備玄徳に「三顧の礼」により従うこととなったが、劉備は恵帝から続く漢王室の血筋を引き人物であった。当時の漢王朝は曹操(魏)により壟断されており、劉備はそれへの抵抗として国を建てたのである。諸葛亮はその意思に従い、劉備亡き後も「北伐」として魏への侵攻を訴えた。「出師表(すいしのひょう)」はその侵攻の進言として有名である。
『靖献遺言』では、「出師表」の全文を掲げ、劉備亡き後も幼帝劉禅を戴き劉備の志の実現に邁進した諸葛亮を讃えている。宮中(王室)と府中(政庁)は一体であることを強調しているなど、現代の眼から見ても興味深い内容である。
当日は単に輪読するだけでなく、「まがりなりにも漢王室を戴いていた魏、漢王室の血筋を引く蜀漢、黄巾の乱の混乱の中で漢王室の玉璽を手に入れた呉の何が正統か、その根拠は何か」であるとか、「当時の人は史書を読み、物事の筋目を判断しマニュアル的でない大義のありかを考える態度を涵養していたに違いない」といった議論が行われた。
《志士の名言:諸葛亮編》
◎「庶はくは駑鈍を竭し、姦凶を攘除し、漢室を興復し、旧都に還さん。此れ臣、先帝に報いて陛下に忠する所以の職分なり。」
〔願わくは不才の身ながら全力を尽くし、姦賊曹操を除き、漢の王室を復活させて、都をかつての長安に戻したいのです。これは私が先帝(劉備)へのご恩返しであり、陛下(劉禅)にご奉公する務めなのです。〕
次回も引き続き諸葛亮を輪読する。〔小野耕資〕