中共の対米工作/国体論の諸相 ― 東都で昭和12年学会公開研究会〔8月29日〕

8月29日午後、ハロー貸会議室築地東銀座(東京都中央区)で昭和12年学会・令和2年第4回公開研究会が開催された。

今回の登壇者は、江崎道朗氏(評論家)と金子宗德氏(本誌編集長)。

江崎氏の演題は、「中国共産党とトーマス・ビッソン」。

トーマス・アーサー・ビッソンは、GHQ民政局に勤務し、ホイットニー民政局長とともに占領政策の中枢を担った人物であるが、1937年に創刊された『アメレジア』の中心メンバーでもあった。東アジアの地域研究を行う「太平洋問題調査会(IPR)」に所属する研究者やジャーナリストによって1937年に創刊された同誌は、アメリカの対日・対中政策に大きな影響を与えた。この『アメレジア』の母体は中国共産党を支持する機関誌『China Today』であり、ビッソンはその編集委員でもあった。

アメリカ国務省高官や大学の極東専門家らの協力を得た『アメレジア』は、国務省やペンタゴンなどの要人を読者とするなど絶大な影響力を持っていた。一方、同誌の創刊後間もなく、ビッソンは中国を訪れ毛沢東・周恩来らと会談しているが、そのことからビッソンと中国共産党との深い関係が窺える。支那事変以降、同誌は日本の計画的侵略を強く示唆すると同時に、同時に抗日を掲げる中国共産党の支持を繰り広げるなど、アメリカにおける対日世論を悪化させるプロパガンダを行った。同時に、アメリカ共産党は、日本に対する闘争を容易にするため、従来の階級闘争理論を一時的に棚上げして、「ファシズム」対「デモクラシー」の対立軸を強調する。在ニューヨーク日本総領事・若杉要は、こうした米国内における反日宣伝の動きを察知し、一九三八年七月の時点で本国に報告していたにもかかわらず、本国の政府は対策に乗り出すことはなかった。

このように、シナ事変(日中戦争)以降、アメリカにおいては共産主義勢力による反日宣伝が展開されていたにもかかわらず、近代史研究においては盲点となっている。この日米関係史研究における「空白」を埋めていくためにも、「ヴェノナ文書」などを踏まえ、アメリカ共産党や中国共産党の対米秘密工作と反日宣伝の関係は注目されるべきである、と江崎氏は結論付けた。

続く金子氏の演題は、「昭和 12 年の国体論」。

里見岸雄の『科学的国体論―国体科学入門』の一節を引き、社会的事実そのものである「国体」と、それを各時代の思想家や学者などが各々の立場において論明解釈した思想なり学説である「国体論」とを区別することの重要性を強調した金子氏は、「国体論」の歴史を紐解く。

「国体」という語の初出は、『漢書』(成帝紀)など支那の古典である。我が国における初出は奈良時代の「出雲国造神賀詞」であるが、そこでは「クニカタ」と訓じられている。平安時代には、仏教教学に基づいて「国体」を「大日如来と一体化した国家の本体としての天皇」とする「国体論」が生まれるけれども、これは定着しなかった。その後、江戸時代には、水戸学の影響下に、「国体」を「国家の構成要素」や「『神国』としての国の大体」と見なす「国体論」が生まれた。

その後、明治時代に西洋より公法学が輸入される過程で、〈Staatsform〉の訳語として「国体」が当てられた結果、従来と異なる「国体論」が生じた。

そうした「国体論」を巡る混乱を背景として、昭和10年に天皇機関説事件が発生する。これは政党政治に対する不満を背景とするが、美濃部達吉の天皇機関説が標的となり、岡田啓介内閣は二度に亘って「国体明徴声明」を発し、それまで公権解釈としてきた天皇機関説の破棄を余儀なくされる。

昭和11年、独自の「国体論」を主張していた北一輝の影響下にある青年将校による2・26事件が起こる。天皇機関説事件と2・26事件に危機感を持った政府は、第二次国体明徴声明の趣旨に基づいて「国体の本義」を作成する。結果として、江戸時代以来の伝統的解釈と憲法学における天皇主体説とが組み合わされる形で新たな公権解釈が示されることとなった。

こうした動きに対し、国体学者の里見岸雄は、『国体の本義』が官僚専制の温床となりかねない天皇主体説の復権をもたらしたことに危機感を抱き、「機関説撃つべくんば主体説共に撃つべし」と主張する。その後、里見の主張通り、『国体の本義』に示された解釈は官僚独裁を支えるイデオロギーと化し、大東亜戦争の敗北によって破綻する。

では、里見岸雄の「国体論」とは如何なるものだったろうか。里見によれば、「国体は単なる統治現象ではなく、統治現象を生み出している母体であ」り、「日本国体とは、時代社会と関連する政体並びに生活体系と区別せらるべきものであつて、日本国家の窮極的基盤体としての民族生命体系並びにそれに随伴する精神現象の包括的概念である」という。

昭和12年における「国体論」としては、水戸学に端を発し、「万世一系」・「君民一体」といった日本の独自性を重視する伝統的解釈と、明治時代に移入された公法学に端をし、天皇が統治権を総攬する政治体制として捉える近代的解釈が存在するが、双方の解釈を合理的に接合する試みは殆ど見られなかった。

その一方、大東亜戦争敗戦後、天皇主権に代わる国民主権へと憲法上の「国体」が変更されたという「8月革命」説が提唱されたものの、現在でも天皇の社会的影響力は極めて大きく、伝統的解釈で説かれる「国体」は残存していると言ってよい。

そうした現実を踏まえ、金子氏は、国民の精神文化をトータルで把握し、なおかつ時代の経過によって変化する側面とは区別される不変の存在としての「国体」を見出そうとした里見岸雄の所説は今なお色褪せないのではないか、と結論づけた。〔山田忠弘〕

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