2月3日、第2回「尊皇倒幕のバイブル、靖献遺言を読む会」が上野で開催された。前回に引き続き『靖献遺言』を読んだが、東京国立博物館で《顔真卿展》が行われていたことから、同展を参加者で見学した後、近くの会議室で輪読会を行った。

顔真卿展ポスター
顔真卿は唐の時代に生まれた。当時は玄宗皇帝の時代で、楊貴妃に溺れ政治が乱れていた時期であった。そんな中、安禄山が反乱の兵を挙げる。顔真卿と同族の顔杲卿は安禄山に対抗する。杲卿は安禄山に捉えられ処刑されてしまう。安禄山の反乱が失敗に終わった後も、常に正論を言う真卿は奸臣に疎まれて、左遷されてはまた復帰するを繰り返していた。
盧杞が大臣になると、その傾向は一層強まった。そんなときに李希烈が反乱を起こす。盧杞は顔真卿に李希烈を説得するよう命じた。明らかに殺されることを見越しての処置である。顔真卿は李希烈を説得するため、長安から汝州に向かったが、途中の洛陽で心ある人に「行けば殺される」と引き留められた。しかし顔真卿は「殺されるとわかっていても、君命である以上避けるべきではない」として汝州に向かい、李希烈に捕らえられ殺された。
《志士の名言:顔真卿編》
◎「節を守りて死するを知るのみ」
(臣節を守って死ぬという外には、何も考えておらぬ。)
次回も顔真卿の続きを輪読する。〔小野耕資〕