【書評】井上亮著『天皇と葬儀』

伝統と現実の狭間で

先日、天皇皇后両陛下の「今後の陵と葬儀のあり方」に関する発表が宮内庁からなされた。両陛下の御内意に基づき、江戸時代初期から続いてきた土葬を火葬に改め、御陵の敷地面積も昭和天皇・香淳皇后の御陵より縮小するといふ。

この宮内庁発表に対しては異論も少なくない。確かに、陛下が崩御された後のことを想定するなど畏れ多いけれども、自然人である以上、不老不死といふことはない。さうである以上、伝統と現実の狭間で平成の御代における新たな指針を示すべきといふ陛下の御意向に基づくものと解し、その御聖旨を謹んで受け入れるべきだらう。

そもそも、天皇に相応しい葬儀と云つても、はつきりとした規準が存在するわけではない。神武天皇の葬儀について分かれば決定的な判断材料となるだらうが、神話的存在といふこともあり、記録は残つてゐない。それに加へて、天皇を取り巻く社会的情況の変化に伴ひ、葬儀の様子も変化してきた。さうである以上、予断を持つことなく、事実を踏まえながら次代へと継承すべき本質を見出すことが必要ではないか。

最新の研究成果に基づき

その点で、最新の研究成果を踏まえつゝ、歴代天皇の葬儀を概観した本書は参考になる。著者の井上氏は『日本経済新聞』の記者として悪名高き「冨田メモ」報道に関はつた人物であり、気になる表現は少なくないが、要領よく整理されてゐることは確かだ。

古代日本にはモガリといふ風習が存在した。人は死んでも魂を呼び戻せば蘇生するとして、埋葬されるまでの間、故人の遺族や関係者が死屍の前で食事や歌舞を共にしたり、生き返りを願ひ哭泣したりといふものだ。その後、支那から殯の風習が伝はつて儀礼は盛大となり、後継者を巡る政争の場ともなる。

初めて火葬された天皇は飛鳥時代の持統天皇であり、平安時代以降は基本的に火葬となる。火葬は仏教の影響によるとされがちだが、僧侶であつても火葬されるとは限らない。仏教を篤く信仰してゐた聖武天皇も土葬されてゐる。死から間を置くことなく火葬することで、モガリに代表される儀礼を簡素化しようとする側面の方が強かつたやうだ。

モガリの風習が廃れると、代はつて儒教に由来する服喪の風習が一般化する。さらに、祖先祭祀の観念に基づいて、御陵における祭祀も始まつた。逆に云ふと、それまで御陵における祭祀は存在せず、所在地が分からなくなつてゐた御陵も少なくない。

また、平安時代以降は生前における譲位が一般的となり、葬儀についても個人的な希望を遺詔された場合も少なくない。結果として、統治者たる天皇の死ではなく、一個人たる院(上皇・法皇)の死として、その葬儀も公事といふよりも皇室の私事としての性格を強めたのである。

鎌倉時代の半ばに僅か十二歳で崩御した四条天皇の葬儀は母方の九条家と縁の深い泉涌寺で営まれ、こゝから皇室と泉涌寺の関係が生じた。室町時代の半ば以後、天皇の葬儀は泉涌寺で行はれるのが通例となり、境内に陵として石塔を建立されたけれども、戦国時代に崩御した後土御門天皇の葬儀は費用の目処が立たず、荼毘に付されたのは崩御から四十三日後だつた。

江戸時代になると、天皇の葬儀に幕府が関与するやうになり、公事としての性格を取り戻す。また、火葬から土葬へと改められたが、その背景には儒教(朱子学)の影響があるといふ。その後、国体意識の高まりと共に御陵の整備が進められ、所在不明となつてゐた御陵についても伝承をもとに比定される。

江戸時代の末には、孝明天皇の神武天皇陵御親拝も計画された。孝明天皇が崩御すると、幕府主導で葬儀が行はれ、御陵も泉涌寺の外に造営される。

明治天皇の葬儀は「古式」に基づく盛大なものであつた。とは云へ、過去の方式を単純に復元したといふより、様々な先例を再構成して新時代に相応しい儀礼を作り上げたといふ方が正確である。

日本国憲法の下における昭和天皇の葬儀も、この「古式」に則つて行はれたものゝ、政教分離規定に抵触せぬやう、鳥居に台車をつけて、皇室儀式である「葬場殿の儀」と国の儀式である「大喪の礼」との間に移動するといふ苦肉の策を取つた。

守るべきもの

天皇の葬儀において最も重視すべきは、我が国の統治者たる天皇の葬儀に相応しい厳粛さであらう。さうした厳粛さは、御遺骸を火葬したからと云つて損なはれるのか。先にも述べた通り、火葬は外来思想である仏教の影響とは断定できないし、土葬にしても外来思想である儒教の影響も強く、日本古来の風習と見るのは一面的だ。

また、どんなに大きな御陵を造営したとしても、参拝する国民が少なければ空疎なものとなりかねない。

厳粛さといふものは形式主義から生まれるものではなく、天皇と国民との強い紐帯に基づくものではなからうか。

金子宗德(かねこ・むねのり)里見日本文化学研究所主任研究員

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