ダヴォス会議といふ魔界 ―安倍首相の不見識

里見日本文化学研究所主任研究員 金子宗徳

ダヴォス会議とWEF

去る1月22日、安倍首相はスイスのダヴォスで開催されたWEF〔世界経済フォーラム〕の年次総会〔通称「ダヴォス会議」〕で演説を行つた。

その内容については後ほど触れるが、そもそも「ダヴォス会議」とは如何なるものか、ひいてはWEFとは如何なる組織かについて知らねばならぬ。

スイス東部の高原に位置するダヴォスは古くからリゾート地として知られる。かつてはサナトリウム(結核療養所)も置かれ、トーマス・マンの長編小説『魔の山』の舞台ともなつた。毎年一月後半、このダヴォスに多国籍企業の経営者をはじめ、政治指導者やジャーナリストなどが集まる。「世界の再形成―社会、政治、ビジネスにとっての影響」といふテーマを掲げて開催された本年の会議には、2000人以上が参加したといふ。

非営利NGO組織であるWEFは、ダヴォスにおける年次総会のほか、毎年9月に支那(大連ないし天津)で新興国の企業経営者や政治指導者を集めて行はれるニューチャンピオン・サミット〔通称「サマー・ダヴォス」〕や東アジア・アフリカ・ラテンアメリカ・中東の各地域における課題を話し合ふ地域会議を開催するだけでなく、『グローバル競争力レポート』などの報告書を編集・発行してゐる。また、疾病や教育などに関する国際的事業を各国政府や多国籍企業の協力を得ながら展開してをり、国際連合の経済社会理事会にもオブザーバーとして参加してゐる。本部はスイスのジュネーブだが、ニューヨーク・北京・東京の3都市にも事務所が存在する。

さらに、ヤング・グローバル・リーダーズやグローバル・シェイパーズの選定を通じ、次世代リーダーの育成にも積極的だ。40歳以下の若手リーダーから選ばれる前者の中には、秋篠宮妃紀子殿下を筆頭として、政治家(小泉進次郎ほか)・経営者(三木谷浩史ほか)・社会運動家(川田龍平ほか)・スポーツ選手(中田英寿ほか)・芸能人(藤原紀香ほか)などの名が見える。

かうした一連の活動は、1,000社を数へる会員企業からの会費や寄付金で賄はれてゐる。年会費は5万スイス・フラン(1スイス・フラン=約110円)であるが、年次総会に参加する場合は別に2万5000フランが必要だ。さらに、インダストリー・パートナー(年会費…25万スイス・フラン)やストラテジー・パートナー(年会費…50万フラン)といふ上級会員も存在する。

最上級のストラテジー・パートナーは100あまり。欧米各国や日本といった先進国のみならず、ロシア・支那・トルコなどの新興国に本拠を置く多国籍企業ないし財団が名を連ねる。業種の面でもエネルギー産業や重工業のみならず、銀行やヘッジファンド、IT企業や経営コンサルタントと幅広い。日本企業も、三菱商事・東芝・武田薬品・LIXILの4社がストラテジーパートナーとして加盟してゐる。

また、その活動方針はファウンデーション・ボード【下記参照】によつて決定される。カルロス・ゴーン〔ルノー日産CEO〕や竹中平蔵〔慶應大学教授〕を除けば馴染みのない人物ばかりであるが、肩書を見ればグローバル経済エリートたちと云つてよい。

ファウンデーション・ボードの華麗なる面々

アンヘル・グリア〔OECD事務総長〕
インドラ・ヌーイ〔ペプシコCEO〕
ヴィクター・チュー〔ファースト・イースタン投資グループ会長〕
エルネスト・セディージョ〔イエール大学グローバリゼーション研究所長〕
オリット・ガディッシュ〔ベイン・アンド・カンパニー会長〕
カルロス・ゴーン〔ルノー日産CEO〕
クラウス・シュワブ〔WEF理事長〕
クリスティーヌ・ラガルド〔IMF専務理事〕
ゲルマン・グレフ〔ロシア貯蓄銀行CEO〕
朱民〔IMF副専務理事〕
ジョー・シェーンドルフ〔アクセル・パートナーズ〕
ジョージ・ヨー〔シンガポール国立大学リークワンユー公共政策大学院客員教授〕
竹中平蔵〔慶應大学教授〕
ドナルド・カベルカ〔アフリカ開発銀行総裁〕
パトリック・エービッシャー〔ローザンヌ工科大学学長〕
ピーター・サンズ〔スタンダード・チャータード銀行CEO〕
ピーター・ブラベック・レッツマット〔ネスレ会長〕
マーク・カーニー〔イングランド銀行総裁〕
ムケシュ・アンバニ〔リライアンス・インダストリー会長〕
ヨゼフ・エッカーマン〔チューリッヒ保険元代表〕
ラーニア・アル=アブドゥッラー〔ヨルダン王妃〕
ルイス・アルベルト・モレノ〔米州開発銀行総裁〕

クラウス・シュワブなる人物

クラウス・シュワブ

WEFを創設したのは、現在も理事長を務めるのがクラウス・シュワブだ。シュワブは、ナチス・ドイツによるオーストリア併合直後の1938年3月30日、ドイツ南部・スイス国境近くのラーフェンスブルクに生まれた。

フライブルク大学で博士号を取得したシュワブは、スイスのジュネーブ大学で経済政策を講ずる傍ら、1971年からダヴォスに企業経営者を招いて国際シンポジウムを開催し、それを基盤としてEMF〔欧州経営フォーラム〕を設立する。

西欧各国は第二次世界大戦の主戦場となつたゝめに大きな打撃を受けたが、東西冷戦を背景として、米国はマーシャル・プランに基づいて各国の経済復興に対して多額の援助を行ふ。

それと同時に、広大な植民地を失つた各国は域内の経済統合を積極的に進める。1952年7月、フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・ルクセンブルク・オランダの6カ国によりESCE〔欧州石炭鉄鋼共同体〕が設立された。1958年1月には、同じく六カ国によりEEC〔欧州経済共同体〕とEUTRAM〔欧州原子力共同体〕が設立され、1967年7月には、3つの共同体を基にしてEC〔欧州共同体〕が成立する。また、欧州共同体に加盟しなかつたイギリス・オーストリア・スイス・ポルトガル・スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・フィンランド・アイスランドの9カ国はEFTA〔欧州自由貿易連合〕を組織した。

1970年代に入ると、ブレトン・ウッズ体制の下で、金と兌換し得る唯一の基軸通貨として各国通貨とのレートが固定されてゐたドルの信用力が低下し、ヨーロッパは新たな経済システムを模索する必要に迫られる。このやうな流れの中にEMFの誕生も位置づけられよう。

1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領はドルと金との兌換停止を発表する。このニクソン・ショックによりブレトン・ウッズ体制は崩壊し、1973年三月頃から外国為替レートが変動制に移行した。

そして、同年10月には、エジプト軍のイスラエル奇襲を端緒として第4次中東戦争が勃発。エジプトを支援するアラブ産油国は、原油価格の引き上げとイスラエル支援国に対する原油の輸出禁止措置を発表したゝめ、第1次石油危機が発生する。

かうした社会変動を踏まえ、1974年からはダヴォスでの定例総会に経営者だけでなく政治指導者も招く。また、西欧といふ一地域に止まらず地球全体の問題を議論する場へと変化したことを背景として、1987年に名称も現在のWEFへと改められる。

グローバル・コーポレート・シチズンシップ

シュワブによる一連の活動は、「グローバル・コーポレート・シチズンシップ=グローバル社会における良き企業市民」といふ理念に基づく。この理念について、シュワブは『フォーリン・アフェアーズ』―アメリカのCFR〔外交問題評議会〕が刊行する国際政治専門誌―の2008年2月号に掲載された「グローバル・コーポレート・シチズンシップを考へる」といふ論文の中で、次のやうに述べてゐる。

グローバル・コーポレート・シチズンシップとは、国の力が及ばなくなりつつある「グローバルな空間」を主たる活動対象としているという点で、社会的投資や企業の社会的責任、企業の社会派事業といった企業フィランソロピー(=慈善活動…金子註)の概念を超えている。グローバル企業はこのスペースで活動する資格を持っているだけでなく、政府や市民社会と協力して世界の繁栄に協力する「グローバル社会における良き企業市民」としての義務を負っている。グローバル・コーポレート・シチズンシップとは、マクロレベルで世界のアジェンダ(=課題…金子註)に貢献することを意味し、これは、グローバル市場の持続可能性を促進することに繋がる。

気候変動や水不足、感染症、テロリズムといった地球の将来に大きな影響を与える問題に対処するうえで企業が果たすべき役割を実践していくことが、グローバル・コーポレート・シチズンシップとなる条件だ。食糧、教育、情報技術へのアクセスを提供し、極度の貧困、腐敗、破綻国家の問題に取り込み、災害対応や救援を行うこともグローバル・アジェンダへの対策であり、こうした対応策がローカルレベルで試みられるとしても、これらのアジェンダの規模は基本的にグローバルなのだ。〔原文ママ・以下同様〕

確かに、交通手段や情報技術の発達により経済活動がグローバル化しつゝある今日、様々な社会問題を一国単位で解決することは不可能だ。また、国際機関に委ねることも財政面などで限界がある。国境を超えた経済活動の具体的な担い手である多国籍企業の協力なくして、グローバルな課題を実現することは不可能と云はねばならぬ。

問題は、それを如何にして実現するかであらう。この点について、シュワブは次のやうに論ずる。

……確かにグローバル・アジェンダに対処するおもな責任は今も政府や国際機関にある。だが企業は、公共部門や市民社会グループと適切なバランスのパートナーシップを組んで、問題解決に貢献することができる。そして、ここで言う適切なバランスを、関係するプレーヤーの総意で決める必要がある。そうすれば、誰がリーダーシップをとるかを全てのプレーヤーが了解できるし、内部分裂やバラバラな行動で進歩が阻まれることもなくなる。ただし、企業は自らの活動範囲を守り、国の責任を肩代わりする必要があると考えるべきではない。

「グローバル・アジェンダに対処するおもな責任は今も政府や国際機関にある」、「企業は自らの活動範囲を守り、国の責任を肩代わりする必要があると考えるべきではない」と云ひつゝ、「適切なバランスを、関係するプレーヤーの総意で決める必要がある」と主張してゐるが、これは納得し難い。多国籍企業はプレーヤーの一員として国家の方向性を左右してゐるにもかゝはらず、責任を負はなくともよいといふことであり、国家を多国籍企業の道具にするといふ議論だ。

結局のところ、シュワブは多国籍企業の代理人であり、ダヴォス会議は「ダヴォス階級」とも呼ばれるグローバル経済エリートの祭典に過ぎないのである。

「日本の景色は一変する」

このダヴォス会議において、安倍首相は規制緩和の動きを誇らしげに語り、さらなる約束を行つた。

昨年終盤、大改革を、いくつか決定しました。できるはずがない ― そういう固定観念を、打ち破りました。

電力市場を、完全に自由化します。2020年、東京でオリンピック選手たちが競い合う頃には、日本の電力市場は、発送電を分離し、発電、小売りとも、完全に競争的な市場になっています。……

医療を、産業として育てます。日本が最先端を行く再生医療では、細胞を、民間の工場で生み出すことが可能になります。……

40年以上続いてきた、コメの減反を廃止します。民間企業が障壁なく農業に参入し、作りたい作物を、需給の人為的コントロール抜きに作れる時代がやってきます。

これらはみな、昨年の秋、現に、決定したことです。

加えて、昨日の朝私は、日本にもホールディング・カンパニー(持株会社―金子註)型の大規模医療法人ができてしかるべきだから、制度を改めるようにと、追加の指示をしました。

既得権益の岩盤を打ち破る、ドリルの刃になるのだと、私は言ってきました。

春先には、国家戦略特区が動き出します。向こう2年間、そこでは、いかなる既得権益といえども、私の「ドリル」から、無傷ではいられません。

世界のトップクラス入りを望む都市では、容積率規制がなくなります。……

TPPは、私の経済政策を支える主柱です。欧州とのEPAも進めます。日本はこれから、グローバルな知の流れ、貿易のフロー、投資の流れに、もっとはるかに、深く組み込まれた経済になります。外国の企業・人が、最も仕事をしやすい国に、日本は変わっていきます。……

法人にかかる税金の体系も、国際相場に照らして競争的なものにしなければなりません。法人税率を、今年の4月から、2.4%引き下げます。企業がためたキャッシュを設備投資、研究開発、賃金引上げへ振り向かせるため、異次元の税制措置を断行します。本年、さらなる法人税改革に着手いたします。

古い産業に労働者を縛り付けている、雇用市場を改革します。新たな産業には、イノベイティブで、クリエイティブな人材が必要です。古い産業に「社内失業」を温存させていた補助金を、良い人材を求める新たな産業への労働移動の支援へと、転換します。……

いまだに活用されていない資源の最たるもの。それが女性の力ですから、日本は女性に、輝く機会を与える場でなくてはなりません。2020年までに、指導的地位にいる人の3割を、女性にします。

多くの女性が市場の主人公となるためには、多様な労働環境と、家事の補助、あるいはお年寄りの介護などの分野に外国人のサポートが必要です。……

企業のボードメンバーたちに対する、大いなる刺激も必要でしょう。……

それらを実現させれば、2020年までに、対内直接投資を倍増させることが可能になります。

そのとき社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう。〔下線金子〕

これは一言で云へば、徹底的な規制緩和政策だ。この通りになれば、安倍首相が云ふやうに「社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変する」に違ひない。

多国籍企業からすれば、良いことずくめだ。法人税は下がり、投資環境も整備される。雇用規制は緩和され、勤勉で優秀な女性も活用できる。

だが、一般国民からすれば、農協などにメスが入ることは良いとしても、雇用が流動化し、女性は家庭に留まることを許されぬ。外国人労働者との競争を強ひられ、良質な医療を受けられぬ可能性も生じる。最終的に中産階層は没落し、アメリカと同じく一握りの大富豪と大多数の貧民とに両極化するだらう。

我々の為すべきこと

安倍首相は、中共を意識して声高に訴へる。

繁栄の基礎となるのは、人や物の、自由な往来です。海の道、空の道、最近では宇宙や、サイバースペース。かけがえのない国際公共財を安全で、平和なものとして守り抜く唯一の手段とは、法による秩序を揺るぎないものとすることです。

そのために、自由、人権、民主主義といった基本的価値をより確かなものとすることです。この道以外、ありません。……

アジアの平和と繁栄にとって、さらには世界の平和と繁栄にとって、必要なのは緊張でなく信頼、武力や威嚇でなく、対話と、法の支配です。

アジアの平和と繁栄にとつて、中共流の「緊張」や「武力」や「威嚇」ではなく、「信頼」や「対話」や「法の支配」が必要であることは云ふまでもない。

問題は、それらによつて実現する社会の姿である。たとへ「法の支配」が行はれてゐたとしても、大富豪と貧民とに分断された社会は正義に適ふのか。自国の社会内部において「信頼」や「対話」が成立しないにもかかはらず、他国に「自由、人権、民主主義」を説くなど笑止と云ふよりほかにない。

さらに云へば、「自由、人権、民主主義」は「基本的価値」たり得るのか。「自由」な個人として「人権」を有する存在どうしが「民主主義」に基づいて社会を構成するといふ発想じたいに問題はないか。「自由」な個人として「人権」を有するといふ観念に基づく限り、欲望は際限なく拡大し、個人どうしの争ひは凄惨さを増すばかりだ。

父母の間に生まれ、共同体の中で育つ人間は、肉体的には両親の、精神的には共同体の刻印を受けて生きてをり、完全に「自由」な個人とは云ひ難い。そのやうな存在が享受し得る「人権」とは如何なるものか、そのやうな存在が社会的主体として護るべき軌範としての「民主主義」は如何にあるべきか。

我が国においては、それは「国体」を巡る問題として論じられてきた。論者によつて違ひはあるが、超越的存在たる「神」によつて示された軌範としての「道」を「君」と「民」とが一体となり護つてきた「国」と約言することができよう。

こうした「国体」のあり様は、世界規模に拡大すれば万邦の共存共栄を目指す「八紘一宇」の理念に繋がる。我々は、「国体」および「八紘一宇」を掲げ、ダヴォス会議といふ魔界から人類を救ひ出さねばならない。

『国体文化』(平成26年3月号)初出〕

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