明治七年一月二十七日 招魂社にいたりて
我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき
この歌は、靖國神社の御本殿に掲げられた明治天皇の御製である。明治七年一月二十七日、明治天皇が当時招魂社と呼ばれた靖國神社に初めて参拝された折に詠まれたもの。御国の為に命を捧げられた人々の御霊の名とその御事績を永く後世に伝えること、明治天皇は御創建の目的をここに置かれた。
靖國神社第八代宮司である湯澤貞氏は、本書の冒頭にこの御製の御宸筆を掲げている。
清楚な花嫁人形を象った装幀の本書を、読み進めていくうち、この御製を冒頭に掲げた意味、著者の行動を支える英霊に対する崇敬の念が強く伝わってきた。
昭和三十二年から四十七年間にわたって神明奉仕に尽くした自身の半生を顧みながら、明治神宮、靖國神社を巡る戦後の哀史を紐解く。御霊に対する深い敬意と共に語られる挿話の中には、読み手の緊張をほぐす微笑ましいものもあれば、逆境における苦肉の策などもあり、初めて知る事柄も少なくなかった。
著者は、靖國神社を取り巻く障碍に対しても徹底的に抗う。そこからは、如何に戦後の風潮が、靖國神社に祀られた英霊、そして奉職する方々に対して冷淡であったか伝わってくる。歴代の内閣総理大臣の参拝についても手厳しい。
なお、著者の大叔父にあたる湯澤三千男は東條内閣の内務大臣を務め、明治神宮の責任役員や総代も務めたという。里見岸雄先生とも縁のある人物だ。その点については『闘魂風雪七十年』が詳しい。
大野俊康第七代宮司による『特攻魂のままに』(同じく展転社)に続き、靖國神社歴代宮司の思いを活字としたことは、実に意義深い。靖國神社に参拝される折、御一読をお奨めする。
(和)
(「国体文化」平成27年10月号所収)