【明治の英傑たち】渋沢栄一(1)公に尽くした生涯

渋沢栄一(以下、渋沢)は、天保11(1840)年2月13日、現在の埼玉県深谷市に、父、市郎右衛門、母、エイの長男として生まれた。

幕末の幕臣から、明治期には大蔵省(現、財務省)の官僚を経て、実業家として活躍した。

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける大農家だった。農家ではあったが、栄一は子供の時から父と藍葉の仕入れに行くようになり、算盤をはじく能力が求められた。

この時の経験が後に経済人として活躍する素地を作った。

尊皇攘夷の志士として

一方、五歳の時に父から、読書をするように教育を受けた。幼くして四書五経や『日本外史』を学んだ。また、従兄弟の新三郎から剣術(神道無念流)を学んでいる。

その後、文久元(1861)年に江戸へ出る。北辰一刀流の千葉栄次郎の道場(神田お玉が池の千葉道場)に入門し剣術修行の傍ら勤皇の志士たちとの交わりをもつ。その影響から栄一は尊王攘夷思想を持つようになって行った。

高崎城乗っ取りや横浜焼き打ちなどをして幕府を倒す計画などを立てたが、これは従兄弟の反対によって実行には移されなかった。

幕臣として欧州に留学

その後、京都に向かい、一橋家の家臣平岡円四郎の推薦で一橋慶喜(後の十五代将軍徳川慶喜)に仕える。

後、主君の慶喜が将軍となった事によって幕臣となった。幕府の最後の頃は、パリで行われた万博に将軍名代として出席した慶喜の弟徳川昭武の随員としてフランスに渡航。万博視察の後は、昭武に随行してヨーロッパ各国を訪れた。

万博の後、昭武はパリに留学したが大政奉還に伴い、明治元(1868)年新政府から帰国を命じられ帰国。帰国後は、静岡で謹慎していた慶喜と面会。

経済のスペシャリストに

この時、慶喜から静岡藩に出仕する事を命じられたが、渋沢はフランスで知った株式会社制度を日本にも作ることを考え、仕官を断わり、明治2(1869)年、一月、静岡で商法会所を設立した。

しかし、大隈重信に説得され、10月に大蔵省に入った。

大蔵省時代には国立銀行条例の制定や度量衡の制定に関わる。大蔵大輔井上馨と財政改革を建議するが、大久保利通や大隈重信と対立し明治六(1873)年には退官。

退官後は大蔵省時代に自らが指導していた第一国立銀行の頭取に就任した。それ以降は実業家としての道を歩み始める。渋沢は第一国立銀行だけではなく七十七銀行など多くの地方銀行にあたって指導的な役割を果たした。

また、設立に関わった企業は500社以上といわれ、代表的なものに、現在の東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなどがある。

公に尽くす思想と行動

渋沢の生き方と思想は、実業家でありながらも、社会活動に熱心であったところからも理解できる。東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立に関わっており、また財団法人聖路加国際病院の初代理事長も務めている。

また、教育の分野でも大きな功績を残した。商法講習所(現一橋大学)や大倉喜八郎との関係で大倉商業学校(現東京経済大学)の設立に協力した他、早稲田大学、二松学舎、学校法人国士舘、同志社大学の寄付金取りまとめにも協力した。

二松学舎の経営に関わる事になったのは、幕末に備中松山藩の藩政改革にあたった山田方谷の弟子で、二松学舎の設立者三島中洲と親しくなったからである。

三島は、「義利合一論」(義=倫理・利=利益)を説いた人物として知られる明治の陽明学者である。

また日本国際児童親善会を設立し、日本人形とアメリカの人形(青い目の人形)を交換するなどして、交流を深めることに尽力した。

渋沢は大正五(1916)年に実業界を76歳で引退後も国際交流や広く社会公共事業の分野で活躍し、昭和6(1931)年に91歳で亡くなった。『論語と算盤』や『論語講義』は、実業界引退後刊行されている。

爵位は、明治33(1900)年に男爵、大正9(1920)年には子爵を受けている。当時、多くの実業家が男爵までの爵位しか受けなかったのに対し、渋沢が子爵を受けたのは、自分の事業に専念しただけではなく、公共に対する貢献が認められた為である。

また、実際の受賞には至らなかったが渋沢はノーベル平和賞の候補にも挙げられている。

(全3回/つづく)


吉田健一(よしだ・けんいち)/鹿児島大学稲盛アカデミー特任講師。財団法人松下政経塾第22期生。

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