福澤諭吉に学ぶ 個人が自立して現代社会で戦う道とは(2)

文明とは何か

近代西洋に直面した福澤は、日本国の改造を試みます。そこで掲げたスローガンは「文明」です。

では、「文明」とは何か。その目的について、明治8年(1875)に書かれた『文明論の概略』において福澤は次のように述べています。

「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云ふなり」

身体の安楽と精神の向上、これが「文明」の目的であると。関連して、こうも言っています。

「人の安楽には限ある可らず、人心の品位にも亦(また)極度ある可らず」

「身体の安楽と精神の向上」を巡る「欲望」に際限はないと言うのです。そして、こう結論づけるのです。

「又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云て可なり」

「身体の安楽と精神の向上」をもたらすのは「智徳」すなわち「智恵」と「徳義」だというのです。

「智恵」と「徳義」の関係性については、後ほどもう少し詳しく掘り下げてみたいと思いますが、その前に「文明」の様相に関する福澤の主張を紹介します。

「天地間の事物を規則の内に篭絡すれども、その内に在て自ら活動を逞しうし、人の気風快発にして旧慣に惑溺せず、身躬(みづ)からその身を支配して他の恩威に依頼せず、躬から徳を修め躬から智を研き、古を慕わず今を足れりとせず、小安に安んぜずして未来の大成を謀り、進んで退かず達して止まらず(中略)これを今の文明と云ふ。野蛮半開の有様を去ること遠しと云ふべし」

「天地間の事物」すなわち自然現象・社会現象の別を問わず、あらゆるものは規則に拘束されている。仏教的に言えば、因果の法則からは逃れられない、と言うのです。

それゆえ、自分の行動には責任が伴うことは言うまでもありませんが、そのことを受け入れて活潑に活動する。昔からの慣習を無批判に受容したり、自分以外の存在に縋ったりするのではなく、自らの知恵と徳義を磨かねばならない。

さらに、「昔は良かった」とか「今まで通りで構わない」といった態度は取らない。将来の大成だけを意識して、常にポジティブであり続けることを是とする社会のあり方が「文明」である、と福澤は説いています。

「智恵」を重視する

さて、ここで先ほど触れた「智恵」と「徳義」の関係性について触れておきましょう。この点について、福澤は次のように述べています。

「徳義は一人の行状にて其効能の及ぶ所狭く、智恵は人に伝ること速やかにして其の及ぶ所ひろし」

「徳義」とは道徳(モラル)のことです。これはあくまでも個人の内面に関わる問題ですから、そこに何らかの働き掛けをすることは難しいですね。いくら、先生から説教されても聞く側に受け取る素地がなくては効果がない。自分の身につまされなければ、いくら口を酸っぱくしたところで駄目です。従って、「徳義」の影響力というものは限度がある。

しかし、「智恵」、すなわち「知識」あるいは「情報」は、パッと広がるわけです。とりわけ、今日のような情報化社会においては、なおさらです。

「徳義」はドグマ化する

その両者は互いに補い合う関係だと福澤は言いながらも、この時点では「『徳義』よりも『智恵』が大事」と考えていた、それは何故でしょうか。

「一派を以て世の徳教を押領して兼て又智恵の領分をも犯し、恰も人間の務は徳教の事は又其内の一派に限るものの如くし、人の思想を束縛して自由を得せしめず、却て人を無為無智に陥れて実の文明を害するが如きは、余輩の最も悦(よろこ)ばざる所なり」

「徳教」つまり「徳義」に関する教えには、様々なものがあります。江戸時代以前の「徳教」と云えば神道・儒教・仏教ですが、父母に孝行しようといった基本的なところは同じであっても、細部は異なります。さらには、儒教の中では朱子学や陽明学など、あるいは仏教の中では浄土真宗や日蓮宗など、それぞれが自派の主張こそ正しいと声高に主張し、少しでも異なる点があると激しく糾弾する。

このように、「徳義」にはドグマ化、別の言い方をするとイデオロギー化して、それ以外の考え方を排除しかねない側面があります。その結果、「知恵」の自由な働きが妨げられてしまう。それでは、両者が補い合う関係は成立しない。そのことを、福澤は問題視しています。

脱亜論の真意

これに関連して2つお話をしたいと思います。一つは、「脱亜論」についてです。

この「脱亜論」を取り上げて、福澤を侵略主義者という人が居ます。しかし、それは福澤の真意を踏まえた議論ではありません。

この「脱亜論」は、李氏朝鮮の改革を目指した金玉均らのクーデターが失敗した直後に書かれました。福澤は金玉均を支援していました。もし、金玉均らのクーデターが成功していれば、朝鮮も日本に続いて「文明」への途を歩み始めたことでしょう。けれども、守旧派の要請を受けた清国の武力介入により失敗してしまいます。朱子学というドグマを墨守し、中華思想という「他の恩威」を前提とする秩序から脱却できない、そういった旧態依然たる姿勢に対する福澤の憤激が「脱亜論」として現れたのです。

アジアを蔑視したというわけではなく、「知恵と徳義」の一方に偏した支那や朝鮮の度し難さに呆れたから、あの「脱亜論」は書かれたのです。

自由と民主主義の先駆者?

もう一つ、戦後の福澤論についてです。

敗戦後のある時期、福澤は非常に持て囃されます。「天皇を崇拝して個人の自由を許さなかった」昭和戦前期の超国家主義に対する、明治の自由な精神を体現した人物として礼賛されます。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言へり」という『学問のすすめ』の冒頭に掲げられた一節についても、人間の本質的平等を説いたものと喧伝されます。それは、後で述べるように明らかな間違いですが…。

一方、国家の自立を説いた部分は、あまり強調されませんでした。

それは、アメリカの属国として「自由と民主主義」を謳歌していた世情に合わせて描き出されたものに過ぎません。

そもそも、人間は多面的な存在です。その多面的な存在から如何なる側面を引き出すかは、後世の人間に委ねられています。戦後の福澤論が全て誤りと言うつもりはありませんが、今日には今日なりの福澤論があって然るべきでしょう。

(つづく)

金子宗德(かねこ・むねのり)里見日本文化学研究所所長/亜細亜大学非常勤講師


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