【明治の英傑たち】江藤新平(3)挫折した維新の理想とは

江藤の鋭い理念は、権力の頂点を極めた藩閥権力にも向けられた。

陸軍省の御用商人であった山城屋和助に対する巨額な公金貸付事件では、陸軍大輔・山縣有朋の政治生命を脅かした。

山城屋は奇兵隊の出身で維新後は商人となり、兵部省への物品納入を一手に引き受けて莫大な利益を得ていた。

さらに生糸相場に手を出した山城屋は、投資の元金として陸軍省の公金を借り受けて生糸輸出を名目に渡仏し、贅沢の限りを尽くしていた。

外務卿副島種臣は山城屋の疑惑を江藤に伝達し、江藤は軍事力で山城屋の摘発を行おうとした陸軍少将・桐野利秋を制して、司直の手で事件の解明を進めた。

事件は帰国した山城屋が陸軍省内で割腹自殺を遂げたことで闇に葬られたが、追求を受けた山縣は一時的に失脚し、江藤は事件を摘発した張本人として長州閥の反感を買うことになった。

行政による不正との対決

山城屋が自殺した頃、司法省の予算をめぐって江藤と大蔵卿・井上馨との対立も発生していた。

裁判所の全国設置を計画する江藤司法卿と、学制による学校建設を行う大木文部卿の予算は、それぞれ半額の46万円と100万円に抑えられたのに対して、陸軍省の予算額は山城屋事件にも関わらず満額の800万円が認められた。

長州閥の誼をもつ井上と山縣との間に、何らかの合意があったことは明らかであった。

江藤と大木はこれに抗議したが、井上は自邸に引きこもって政務を放棄し、政府は混乱を来たした。

これに対して、江藤は「国の富強」を求めるためには「国民の安堵」を保障する法制度が不可欠であることを説き、三条実美に予算案が認められないのであれば辞職すると迫った。結果として大蔵省の歳入見込が過少であることが分かり、井上は面目を失った。

辞任を決意した井上は、鉱山経営を行うことを考えたと見え、盛岡藩が借財していた豪商村井茂兵衛の債権を無理矢理債務と読み替えて、同人の財産である尾去沢銅山を没収し、自家の出入り商人岡田平蔵に破格値で払い下げさせた。

山には「従四位井上馨所有」との札を建てたため、村井は井上の非法を司法省に訴え、検事は井上の身柄拘束を正院に願い出た。

これらの顛末を受けて、江藤は大木らと共に参議として正院に移り、参議によって構成される内閣で太政官制を強化する改革を行うのである。

さらに江藤は、行政官の横暴を阻止するために「司法省布達第46号」を出して行政裁判の道を開いた。

これによって「小野組転籍事件」(有力商人の小野組が東京転籍を願い出たのに対し、減収を恐れた京都府が強圧的に妨害した事件)などが発覚し、長州の槙村正直ら京都府の行政官が拘置されるという事態を招いた。

江藤による内政の掌握と厳正な「法治」の適用は、政府の中枢である藩閥勢力にとって脅威となっていた。

陰謀により処刑される

明治6年の政変による西郷・江藤らの下野は、このような状況で起された。政変を強引に主導した大久保利通は、内治優先を主唱しながら、その実は江藤に対する警戒心を露わにしていたのである。

下野した江藤は、次の政治課題を国会開設に定め、板垣退助らと共に民撰議院設立建白書に名を連ねていた。

だが板垣らの助言を聴かずに佐賀へ帰った江藤は、大久保の命を受けた県令・岩村高俊(いわむら・たかとし)に挑発され、佐賀の乱の首魁として梟首された。享年41歳。

木戸や岩倉の助命嘆願を無視し、江藤の整えた法を破っての大久保による独断処刑であった。

大久保による独裁の開始は維新政府の状況を一変させ、江藤の望んだ法治と分権による維新国家の形成は、後景へと遠のいたのである。

日清・日露戦争の後、来島恒喜と親しかった玄洋社員・的野半介(まとの・はんすけ)の尽力によって江藤の名誉回復が図られ、その維新における功績は称えられた。

19世紀の日本が独立不羈への過酷な試練を課せられるなか、大久保ら維新官僚の独裁は必要であったかもしれない。

しかし現代においてなお行政偏重の日本に生きる筆者は、江藤が生きていれば描いたであろう、もうひとつの維新国家に思いを馳せる瞬間も少なくないのである。

(了)

小寺只一/里見日本文化学研究所客員研究員

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