【明治の英傑たち】西郷隆盛(2)文明国の外交とは

文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の壯嚴、外觀の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些とも分からぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己を利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟めて言なかりきとて笑はれける。(『遺訓』)

「征韓論」に対する西郷の真意については、判然とせぬ部分がある。

一般には、西郷のほか板垣退助・江藤新平ら「征韓派」と大久保利通・岩倉具視・木戸孝允ら「内治派」とが対立し、敗れた前者が下野したと説明されているが、それほど事情は単純ではない。

日本との交渉を拒否した李氏朝鮮

成立したばかりの明治政府にとつて、李氏朝鮮との国交正常化は(さらに北方のロシアとも関係する)重要な外交課題の一つであつたが、交渉は暗礁に乗り上げていた。

明治政府は、明治元(1868)年11月に、対馬藩に命じて「王政復古」を通知する文書を送ったが、朝鮮側は受け取りを拒否し、その後も交渉は進展しなかった。

朝鮮側が問題としたのは、文書の中にある「皇」や「勅」といった文字であった。

支那を中心とする前近代的な華夷秩序の中にあり、国王が清の皇帝から冊封を受けていた(要するに清の属国であった)朝鮮にしてみれば、それらの文字は清の皇帝しか用いてはならぬものであり、日本の天皇が使うなど許し難かったのだ。(韓国では、今でも「天皇」ではなく「日王」と呼ぶのが一般的らしい)

一方の我が国は、聖徳太子の時代から(南北朝・室町時代の一時期を除いて)一貫して華夷秩序の外にあった上に、江戸幕府は鎖国政策を採用していた。

云うまでもないが、完全に外国との交際を絶っていたわけではなく、将軍の代替はりごとに通信使が派遣されるなど、朝鮮との国交も存在した。

さらに、西洋列強との接触を通じて、対等な主権国家どうしの関係を前提とする「万国公法」、ひいては近代国際秩序の理念を受け入れていた。

明治5(1872)年9月、前年の廃藩置県を受けて釜山にあった倭館(対馬藩の出先機関)を明治政府が接収すると、朝鮮側は反日的な動きを強める。

これに対して、「朝鮮伐つべし」という声が高まった。

「征韓論」と西郷

明治6(1873)年6月になると、「征韓論」が閣議でも取り上げられる。

その場で、板垣などは「兵士一大隊」を急派すべきと主張したが、そうした意見に西郷は与せず、まず責任ある大官を全権使節として(首府たる)京城に派遣し、誠意を以て談判すべきと主張した。

さらに、兵を随行させるという提案についても、使節は非武装でなくてはならないと反論し、自身が朝鮮に行ってもよいとまで述べる。

西郷は、「万国公法」の理義を毫も理解せぬ未開の国・李氏朝鮮を「懇々説諭して開明に導」こうとしたのだ。

その上、朝鮮に派遣した同郷の別府晋助などを通じ、朝鮮の情勢を知悉する西郷は、自らの死さへ覚悟していた。

板垣宛の書状には「公然と使節を被差向候はば暴殺は可致儀と被相察候」、「死する位の事は相調可申かと奉存候間」(明治6年7月29日付)などという記述が見られる。

信念を貫き、下野した西郷

そして、一度は閣議で西郷の朝鮮派遣が決まったにもかかわらず、大久保らの巻き返しによって派遣じたいが延期となり、納得できぬ西郷らは政府を去った。明治6(1873)年10月下旬のことである。

この事件は、これまで「征韓論政変」と呼ばれて来たが、その背景に大久保・木戸ら遣欧使節からの帰国者と西郷・江藤ら留守政府との政治的軋轢、とりわけ(司法省を掌握していた)江藤と(大蔵省を権力基盤とする)大久保および(長州閥の後輩が汚職事件に関係したとして続々と摘発されていた)木戸との激しい対立があったことが明らかになり、最近は「明治6年政変」とも呼ばれる。

因みに、この政変から2年も経たぬ明治8(1875)年9月、京城近郊の江華島において日本軍が朝鮮側を挑発して軍事衝突が起こったが、これに対して、西郷は極めて批判的だったという(毛利敏彦『明治六年政変の研究』)。

朝鮮の事大主義的性格を鑑みると、西郷の思いが果たして通じ得たか疑わしく思わぬでもないけれども、理義に基づく堂々とした外交姿勢は継承されねばならない。

(つづく)

金子宗德(かねこ・むねのり)里見日本文化学研究所所長/亜細亜大学非常勤講師

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