3月30日、田道住区センター(目黒区)で《日本近現代史研究会》の第三十三回特別講演会が開催され、本誌の金子宗徳編集長が「グローバリゼーションと日本国体」と題して講演した。
マルキシズムは冷戦崩壊により政治勢力としては消滅したように見える。一方で、交通手段や情報伝達手段の発達を背景としてヒト・モノ・カネが容易に国境を超えるグローバリズムが推進され、自由貿易による関税の廃止ないし縮小が各国で行われている。そうしたグローバリストの代表格が世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)のメンバーとなっている面々である。日本人では竹中平蔵氏がメンバーとなっている。彼らはグローバル企業の代弁者として国家を多国籍企業の道具にしてきた。
こうしたグローバリストの跳梁は、共産主義の崩壊と無縁ではない。グローバリストによって、①市場における交換価値がグローバルな判断基準とみなされ、②それ以外の価値は個人の自由であるとして民族的伝統や信仰が否定され、③すべてが経済的価値で判断され真善美といった価値観が解体され人々は日常を生きるだけとなった。これらの価値観は個人の主体性、物質的欲望を全面的に肯定するなどマルクス主義と酷似している。現に、マルクス主義の後継のポストモダン的思想家は、グローバリズムに好意的である。こうした思想を「グローバル・リベラリズム」と呼びたい。
「グローバル・リベラリズム」はすべての価値観を経済価値に押し流してしまうため、國體を重んじる者は「グローバル・リベラリズム」への対峙を余儀なくされる。保守論壇では「國體はconstitution(憲法)のことである」などという論も見られるが、まったくの誤解である。憲法は國體の一つの表れに過ぎず、その背後にある民族共同体の実態を見なければならない。ただしそうした國體の実態を追究する(里見岸雄が創設した)「國體学」は道半ばであり、ひと言で固定的に論じるのは難しい。ただ、平成二十八年八月八日の「おことば」によってご譲位のご意志を示されたとたんに、それまで規程がなかった譲位について国民の共感を呼び、実現に向けて動き出したことは國體の一つの表れではないか。
ただ、ここまで資本主義化が進んでしまった現代社会では、グローバル化を全否定することの困難性を指摘した金子編集長は、「八紘一宇」の精神によりグローバリズムの道義化が必要であると結んだ。〔小野耕資〕