正定事件から宮沢俊義まで ― 昭和12年学会第4回公開研究会〔4月20日〕

4月20日午後、ハロー貸会議室茅場町駅前(東京都中央区)で昭和12年学会第4回公開研究会が開催された。

第4回の登壇者は放送大学学生の峯崎恭輔氏と憲政史研究者の倉山満氏。

峯崎氏の演題は「正定事件と在支カトリック情勢 ― 田口枢機卿の北支視察より」。正定事件とは、昭和十二年に中華民国河北省正定懸で発生したカトリック外国人宣教師達の殺害事件のことを言う。この事件は、オランダのシュラーフェン財団などにより、犯行は日本軍によるものと結論付けられた。また田口枢機卿は、中華民国が共産化に対抗するため、ローマ教皇の指示のもと、北支へ向かい反共を訴えていた。峯崎氏は当時の様々な状況から、シュラーフェン財団のいう日本軍の犯行説は、特定できる根拠もなく動機も見い出せないことから、根拠がないものと結論付けた。

続く倉山氏の演題は「昭和12年の宮沢俊義」。戦後憲法学の通説を構築した宮沢俊義の学問を読み解き、昭和12年の言動を、憲法史(憲政史)における位置から考察した。現在の憲法学史では、戦前の立憲学派を部分的に継承し、戦後独自の憲法学を打ち立てたと評価されている。これに対しての批判で、戦後は「変質」したというものもあるが、戦前の宮沢の研究はほとんどない。宮澤の憲法観は、憲法典の条文解釈を絶対的なものとせず、歴史や外国法との比較により自己の法哲学を形成していた。また仏英独の憲法史にも詳しく、八月革命説の着想はナチスの国民革命を基にしており、天皇ロボット説の根源はフランス第三共和政の研究から来ている。昭和十二年に関しては、憲法学者としての代表作はないが、時局認識としては同年前半まで正確であった。宮沢は思想と言動が一貫した学者とは認められないが、単なる「変節」ではないと、倉山氏は結論づけた。〔山田忠弘〕

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