3月3日、「第三回尊皇倒幕のバイブル、靖献遺言を読む会」を飯田橋で開催した。前回に引き続き『靖献遺言』「顔真卿」の項を読んだ。今回は「顔真卿」の項の付録として付けられた張巡の伝である。
安禄山が謀反の兵を起した時、張巡はそれに対抗して討伐の兵をあげた。実際に戦闘した安禄山側の令狐潮と張巡は顔見知りであった。令狐潮は「唐の天下はもうおしまいである。なぜ危うい城を守っているのか」と問うた。張巡は「足下は日ごろ忠義の人物を自任していたが、忠義はどこにあるのか」と反論した。
その後さらに攻撃が激しくなり、張巡には唐王室の安否も不明になってしまったガ、それでも孤忠を貫き、屈することがなかった。近くにいた官軍の諸将は、日和見ばかりで張巡に援軍を送らなかった。したがって張巡は苦境に陥り、兵糧がなくなり牛や馬、果ては張巡の妾までも食べさせて戦闘を続けた。ついに落城し張巡は捕らえられ殺されることとなった。四十九歳であった。捕らえられたとき張巡は、それまでの戦闘で歯を食いしばりすぎたため歯が三、四本しか残ってなかったという。
張巡伝はあえて忠義を貫いたという点で崎門派にとっては重要視された部分であり、浅見絅斎、若林強斎によっても重視された部分である。特に若林強斎は楠公になぞらえて大義を重んじた張巡を称揚した。
《志士の名言:張巡編》
◎「南八、男児死せんのみ。不義の為めに屈するべからず」(南霽雲よ、男児たるもの死せんのみだ。不義に屈してはならない。)
次回は諸葛亮を輪読する。詳細は、﨑門学研究会のウェブサイトを御覧頂きたい。