「国体」を踏まえた新たな御代に相応しい軌範の確立こそが重要

立皇嗣の礼を目前として、『国体文化』誌上で皇位継承問題に対する国体学会の立場が宣言された。その趣旨に異論はないが、単に皇位継承を巡る議論だけでなく、これを契機として、「国体」を踏まえた新たな御代に相応しい軌範の確立が必要ではないかと私は思う。

それに先立ち、皇位継承問題に関する世論の一端を紹介する。「給湯室の噂話」の域を出ないものであるけれども、筆者の周囲には「悠仁様が即位するくらいなら、愛子様が良い」という声がある。極めて不敬な表現であるが、「左右」の思想に関心を持たない中間層の正直な声として真摯に受け止める必要がある。実際、同様に秋篠宮家に皇統が移る事に複雑な感情を抱く声はインターネット上のニュースサイトのコメント欄にも散見される。

当該コメント欄を見ると、小室氏の騒動が秋篠宮家全体に対する印象を下げている。この一件により、「女性宮家」の議論が萎縮するのは当然である一方、今上陛下→皇嗣殿下→悠仁殿下といふ現状の皇位継承順位に対して複雑な空気が醸成されつつあることにも注意を要する。女系天皇を容認する側からすれば、先述した中間層における「愛子天皇待望論」のバックボーンが決して健全でないことに留意せねばならない。言葉は悪いが、この層は日和見菌(腸内環境により善玉菌とも悪玉菌ともなり得る菌)である。

このように考えると、今上陛下のお子様世代が即位される数十年後、どなたが即位されたとしても、それを担保する「国民の総意」は健全と言い難いものになる可能性がある。

そうした状況を踏まえ、いわゆる「平成流」も変化を免れないだろう。立憲君主制のもと国民統合の象徴としての在り方を模索してこられた上皇陛下は、被災地や沖縄への訪問を重ねるなど国民の中に入られ「平成流」とも呼ばれる新しい皇室像を築かれた。

しかし、30年前には予想も出来なかったグローバル化に象徴される世相の激しい変化を踏まえ、上皇陛下が次の30年を見据えた「新しい皇室像」の必要性を感じられたとしても不思議はない。

上皇陛下は、譲位の御意思を示すことにより、新しい天皇陛下が国民と共に「新しい皇室像」を形成されることを促された。

そのような上皇陛下の思召しに対し、国民は如何に答え奉るべきか。そのためには、まず「共同体を尊重する事」と「個人の尊厳を守る事」とを統合する軌範を確立することが重要であろう。今上陛下は皇太子時代に、皇后陛下の「個人の尊厳」を一貫して守ってこられた。これについて、保守派の一部から「無私の存在であるべき皇族が私的な発言をした」という旨の批判がなされたけれども、そもそもの発端は(当時において)次の皇后陛下となられる方の「個人の尊厳」が謂われなく毀損されたことであり、それを看過すれば巡り巡って「共同体」を損ねることになる事は疑いない。

「共同体を尊重する事」=「保守」/「個人の尊厳を守る事」=「革新」と考えられがちだが、今上陛下は、皇太子であられた時期から、皇后陛下の「個人の尊厳」を一貫して守られる事により「共同体を尊重」して来られた。両者は、本来、矛盾・対立するものではないのである。

一方、私たち国民の側は如何であろうか。いわゆる「保守」は、愛国心を自己の承認欲求を満たす道具にするばかりで共同体の持続に力を尽くしているとは言い難く、いわゆる「革新」もまた、反権力を隠れ蓑に私利を追求するばかりで本当に困っている個人を救済しようとはしていない。

社会の変動が著しい今日、そうした「保守」や「革新」を自称する者の自己満足に付き合っている暇はない。私たちは、今上陛下の御行動を模範として、「共同体を尊重する事」と「個人の尊厳を守る事」統合する軌範の確立を急がねばならない。

〔三浦充喜・里見日本文化学研究所研究員〕

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