八木秀次 ― 不忠の本質

月刊「正論」において〈フロントアベニュー〉なる麗澤大学教授八木秀次による新連載の巻頭コラムが始まった。初回にあたる五月号は「憲法巡る両陛下ご発言公表への違和感」なる題。宮内庁への批判としつつも実態は両陛下のお言葉を捉えて批判するコラムで、これを喜んで掲載する編集部に嫌悪感すら感じる。コラムの最後の部分、特に問題視すべき部分を左記に抜粋しているので、読者諸賢においても御判断頂きたい。

 (前略)次いで天皇陛下が12月18日、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」と発言された。
陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは、両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。
憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。
灰聞するところによれば、両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は、あたかも戦争の準備をし、国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。
自民党の改正草案が天皇を「元首」と規定していることに、象徴天皇を否定し、天皇が政治的実権を握るようになると誤解されているからだとの観測もあるが、「元首」は「対外的な国家の代表者」との意味で、現行憲法下の実情と何も変わらない。
それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。(月刊「正論」五月号47頁より)

早速ながら見ていこう。まず皇后陛下が御誕生日に際しての記者会見で「五日市憲法草案」の名を挙げておられることに対し、「なぜ左翼・護憲派が持ち上げる」憲法草案なのだろうかとおよそ憲法学者とは思えぬ難癖を付けている。草案を見よ。第一条にして「日本国ノ帝位ハ神武帝ノ正統タル今上帝ノ子裔ニ世伝ス其相続スル」など堂々たる一文ではないか。全204ヶ条のうち150ヶ条を基本的人権に割いていることで有名だが、残りのうち41ヶ条が天皇の条項である。憲法学者であるならば、「左翼・護憲派」流の読み方こそ批判すべきであり、斯様な難癖は余りにも〈知性〉に欠ける。

国民の憲法論議に目を向けられ、シロシメス、キコシメスという天皇の統治をお助けになるべく皇后陛下は「憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていた」ことをお取り上げになり「近代日本の黎明期に生きた人々の政治参加への強い意欲」に「深い感銘を覚え」られたことを自然に拝し得ない心情は片端である。上御一人の臣下としてお務めなさる皇后陛下の御姿を拝し、臣下として憲法学者の本分を全うし、添い奉るべきではないか。

続けて、天皇陛下のお言葉にも刃を向ける。さらに、両陛下が一言も触れてもおられない自民党の改憲案を「誤解」などと嘯く。「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや『国民統合の象徴』ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか」と。筋違いも甚だしい。あろうことかマネージメント、つまり宮内庁は天皇を「管理」せよ、と指図しているのである。宮内庁は天皇を管理することが仕事ではない。天皇をお助けするのが仕事だ。

初めて近代憲法を発布された明治天皇は、その憲法案を審議した枢密院憲法会議に欠かすことなく御臨席なされた。昭和天皇は「私は明治天皇のご遺志に従って、立憲君主として行動してきています」(昭和46年11月16日、在京外国人記者団へのお答え)とされ、今上陛下は「皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」(平成元年1月9日、即位後朝見の儀)とお述べになられている。その他にも今上陛下は、憲法について常に触れておられる。

両陛下のお言葉に対し奉り、国民たるもの恐懼して「詔(みことのり)」として謹みて承り、両陛下の御真意は奈辺に存するか、まずは思いを巡らすべきであろう。

彼はそれを忘れ、勝手な忖度による憶測で的外れな批判を繰り返す。さも両陛下の「私的発言」が「考えの至らぬ甘い発想」であるかのような認識は言語道断、自らの意のままにならぬ天皇は不足の天皇だと云わんばかりだ。これまでの発言を総合するに彼の本質は、天皇は「主権の存する日本国民の総意に基く」存在だという〈日本国憲法流の御用学者〉なのであろう。両陛下の真意を邪推する前に、臣としての立場と言動に徹することに謹みて励むべきである。

聖上の祈りは何処へ向けられているか。以下に掲げる明治天皇の御製を拝せば明らかである。

述 懐(明治三十八年)
末つひにならざらめやは
國のため民のためにとわがおもふこと

(「国体文化」平成26年5月号所収)

山本和幸(本誌編集部)

 

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