座談会「平成人による平成論」(1)「平成人」としての経験を振り返る

金子:皆さま、本日は御多忙のところ、お集まりいただきましてありがとうございます。今回の御代がわりに際して、平成の御代を振り返り、来るべき新しい御代に向けての思いを語って頂こうと思います。

本日、お越し頂いたのは、日本国体学会の会員が2名、様々な行事で御協力を頂いている方が2名の計4名です。私も含めて全員が昭和生まれの平成育ちでして、最年長は48年生まれ、最年少は60年生まれです。

「平成人」とは

金子:こういう人選をしたのは、「平成人」として平成の御代を如何にして生き、その経験を新しい御代で如何に活かすか話し合いたいと思ったからです。ここで言う「平成人」とは、「明治人」と同様の語です。

「明治人」とは「明治の精神」を体現した人々ですが、生まれたのは明治時代ではなく前代の幕末です。

つまり、ある時代を担った人々は、その前代に生を享けたということです。現に、昭和の大東亜戦争を最前線で戦われた方々の多くは大正生まれです。私たちは昭和の御代に生を享けたわけですが、平成の御代に学生生活・青春時代を過ごしてきました。

そして年を重ね、今では様々な現場で仕事をしています。加えて、そろそろ子供が居ても良い年齢です。残念ながら、まだ私には子供がいませんけれども、実際に子供もがいるかいないかは別にして、次の世代に繋いでいくということも、そろそろ考えていかなければなりません。

このような観点から、本日は話し合うことができればと存じます。

というわけで、まずは、皆さんの自己紹介かたがた平成の御代に対する印象を語って頂ければ。最初は、最年少、昭和60年生まれの小野さん。現在、団体職員の傍ら、里見日本文化学研究所の研究員として研究活動をされています。では、宜しく御願いします。

小野:御紹介にあった通り、わたしは昭和60年の生まれで、横浜市の出身です。横浜市と言いますと、横浜駅とかみなとみらいのイメージだと思うんですけど、私の生まれた泉区は、鉄道会社がベッドタウンを造るために山を無理に開発したような場所で、蛙が鳴くのを聞きながら学校に歩いて通ったとか、蛇が出たというような環境が中学生ぐらい、つまり平成10年頃までは残っていました。

バブル崩壊

小野:昭和60年生まれでしたから、物心がついた頃にはもう冷戦は終わっていて、バブル景気も崩壊していました。安倍政権は、現状について史上最長の景気回復期だと言っていますが、あんまり実感はありません。それより、失われた20年だの30年だのと言われますが、そういう「失われた時代」という感覚の方が実感に合っている気がします。

高度経済成長とかバブルとか、そういう景気の良い話は一生聞いたことがないです。父はサラリーマンでして、郊外のベッドタウンに家を買うことができたわけですが、父がやっていた仕事は今や派遣社員の仕事です。

父が生きた昭和の時代は、ちゃんと結婚して、私と弟の2人を成人になるまで育て上げることができましたが、平成の30年間を経て、それが成り立たなくなってしまった。ですから、GDPは増加したかもしれませんが、本当に一人一人の人生が豊かになったのかというと、個人的には疑問だと思っております。

金子:「豊かさ」を巡る問題は重要ですね。続いて、昭和58年生まれの清原さん。《新しい歴史教科書をつくる会》や《昭和12年学会》の事務局を担っておいでです。それでは、宜しく御願いします。

清原:普段、標準語で喋っておりますが、私は大阪の生まれで、高校卒業までは大阪に住んでいました。大阪市内の生まれではなく、南河内の富田林市の生まれです。大阪の中でも都会的ではなく、小野さんがお話しになった環境と非常に近い、家の回りは田んぼや畑があり、蛇や蛙も居るという環境で生まれました。

世間では、大阪について治安が悪いとか柄が悪いというイメージがあるかと思いますけれども、当たらずとも遠からずです。昨年、警察署から犯人が逃亡して山口県で捕まったという恥ずかしい事件がありましたが、あれは私が小学校の頃に社会科見学で行った警察署の話でして、如何にも我が故郷らしいニュースだと感じました。

学級崩壊

清原:私は両親のおかげで私立に進学しましたが、地元の公立の中学校は、平成の初頭から学級崩壊状態でした。さっきまでいた生徒がバイクだか自転車だかで学校から逃亡すると、それを皆で探しに行くような愚かな学校でした。それから、地元には、いわゆる被差別部落と呼ばれる地域があり、平和教育とか人権教育が非常に盛んでした。当時、自分がそれに強い影響を受けたということはないんですが、後になって思い返せば酷く偏った教育を受けたと思います。

その一方で、私の父や祖父は、富田林市の隣にある千早赤阪村の生まれです。そこは楠木正成が活躍していた地域でして、学校教育とは異なる歴史や郷土を大切にする気風を子供心に感じながら大人になっていきました。

その後、私は、島根県立大学に進学して、人口減少と過疎化が進む地域で四年間にわたって暮らしました。非常に退屈な部分もあった地方での生活でしたが、大学卒業後、東京に出てきた時に感じたギャップも含めて、地方の実態を20歳前後の時期に見たという経験は大きかったと思います。

山一證券社長の記者会見

清原:それから、先ほど小野さんがお話しになった通り、これまでの人生の中で景気が良かったという印象は、あまり記憶にないですね。物心ついた頃にはバブルが崩壊していましたから。山一證券の社長が涙を流して記者会見している様子が、記憶に残っている最も古い経済ニュースです。

天皇(上皇)陛下は御誕生日の記者会見で、平成を戦争のなかった時代という振り返り方をされましたけれども、確かにそういう良い側面もありつつ、自然災害であったり景気の問題であったりといった暗い側面を抱えた時代でもあったと思います。

金子:「地方」を巡る問題も重要ですね。続いて、本日の紅一点、佐波さん。戦後問題ジャーナリストとして、チャンネル桜でキャスターを務められています。また、「昭和の日をお祝いする集い」などでは、司会をお願いしております。女性の年齢を云々することには躊躇いがありますけれども、昭和54年生まれでしたよね。

佐波:本日は、宜しくお願い致します。私は今39歳で、もうすぐ40歳になりますので、生まれてから40年ほど日本社会を見てきたことになります。皆さんも出身地のお話をされていましたが、私は埼玉県で生まれて育ちました。よく埼玉県は何もない県ですとか、あと…。

金子:今、『翔んで埼玉』の映画が話題になっているけど…。

佐波:はい、観ました(笑)。映画にも出てきましたけれど、埼玉県は自分の郷土に対する県民の愛着心がないと言われて久しい状況です。思い返すと、地元の良いものをみんなが好きになるという風潮は確かになかったと思います。

私が生まれ育った町はベッドタウンでほぼ住宅地のみの場所でした。そのため子どもたちもあまり自然の中で遊ぶ経験もなく、学校が終わった後も家の中でコンピュータゲームをして遊ぶのが一般的でした。

清原さんのお話の中で、学級崩壊の話が出ました。私が通っていた学校では、「不良」と呼ばれる人たちがいたのはもっと前の世代で、私たちの世代は冷めた人たちがかっこいいと言われるような時代でしたね。

スクールカースト

佐波:生徒たちが、いわゆる階級のようなものに分かれてランク付けされてしまう「スクールカースト」もすでにありました。

最近、子どもたちの貧困や親の教育格差がマスコミで話題になりますよね。そうした報道では、親の学歴や所得が高いと子どもも教育などで恵まれた人生を送ることができるという側面に注目が集まっています。けれども、学校という世界では逆のことが起こっていたように私は思います。

私が通っていた学校では、実家が割りと裕福で、かつ真面目に勉強をする子供たちは地味で目立たないようなグループとして窓際に追いやられる一方で、「不良」のような人たちが学校の中では非常に人気が高い、まさに「スクールカースト」のはしりともいうべき状況でした。

こうした学校の構造は、今でも続いています。ですから、大人たちが論じる格差と子供たちが感じる実際の格差とは、だいぶ隔たりがあるのではないかという印象を持っています。

ロストジェネレーション

佐波:先ほど「失われた時代」と小野さんも仰いましたね。私たちも「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代です。「就職超氷河期世代」とも言われますが、就職に際して大変な苦労をした世代です。そうした経験ゆえ、努力しても報われないという意識を強く抱いている世代だと思います。別の言い方をすれば諦めが早い世代ですね。ですがその中で頑張って自分のやりたいことを貫いている人も多い。そうした人々は、しっかりと自分の腕に力を付けていくことが大事だという現実的な考えを持っているように思います。

私は高校を卒業した後、新聞奨学生として住み込みで新聞配達をしたり、戦歿者の遺骨収容に携わる中で学生さんと一緒に戦地を訪ねたり、30代半ばになってから大学に入ったりした結果、いままで18歳から22歳ぐらいの若い世代と接する機会が数多くありました。

そうした中で、ここ20年間で若い人の気質が大きく変わったと非常に強く感じている点があります。それは、私が高校生や短大生だった頃と比べて、今の若い人たちは他者への共感力が強いという点です。

私が高校生や短大生だった時代、友達とファストフード店などに入ると、若い世代の人たちが「あの人がむかつく」とか「これが嫌だった」とか、悪口で盛り上がっているのをよく見聞きしたものでした。

「共感力」の時代へ

佐波:一方、現在私が街で若い人たちの会話を耳にすると、スマートフォンに保存された写真を見せあって「ああ、かわいいね」とか「わあ、おいしそうだね」と話していて、悪口めいた話が殆どないんです。全部、「かわいいね」、「嬉しいね」、「美味しいね」といった、緩やかに楽しそうな話をしている。それは相手との共感力という、これからの時代に必要な特色だと思います。

もちろん、その一方で、若い人たちがこれからの外交問題や防衛などを担っていく中で「そうだよね」という共感力だけではやっていけない面もありますので、自己主張する側面も必要ではありますけれどね。

金子:学校を始めとする「若者」を巡る問題、これもまた重要ですね。「共感」に関する御指摘など、女性らしい観点だと思いました。

(つづく)

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