現代にも続く「国体」とは、日本人がまとまる秘訣のことだった!

今日、「国体」という言葉は、「国民体育大会」の略称として用いられています。「国民体育大会」に合わせて建設された「国体道路」も各地にありますが、もともとは別の意味で用いられていました。

例えば、明治23(1890)年に発布された教育勅語の冒頭に、このような一節が存在します。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」

ここに「国体(國體)」という言葉が出て参ります。

「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ」とありますが、これは「天皇を中心として国民が一体となっていることが国体の真髄である」という意味です。

この「国体」という言葉、歴史を遡ってみますと、実は奈良時代から存在する言葉です。『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』という、新任の出雲国造が天皇に奉った文章の中に登場します。ただ、この語には「くにかた」という読みが付されており、地理・地勢といった外面的な国土の形という意味だったようです。

その後、仏教や儒教の影響受け、様々な意味が付加されて行きます。

「国体」という漢語として広く用いられるようになったのは、江戸時代の後期からです。朱子学の影響を受けて成立した「水戸学」において、天皇の存在と結びつけて用いられるようになりました。

当時の用法を見てみますと、「国の本体」・「国の体質」・「国の体面」といったニュアンスで使われています。そうした水戸学の影響を受けた吉田松陰が、『講孟箚記』という著書の中で「日本国家の独自性」を論ずる際に「国体」という言葉を用いました。

こうした経緯により、明治維新の頃には「国体」イコール「天皇を戴く日本国家の在り方」という観念が成立します。明治9(1876)年、明治天皇は『憲法起草の詔(元老院議長有栖川宮熾仁親王へ国憲起草を命ずるの勅語)』を下されましたが、そこには「朕爰ニ我建国ノ体ニ基キ広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シテ以テ国憲ヲ定メントス」という文言があります。ここでいう「建国ノ体」と「国体」は同義といってよいでしょう。

その後、明治22(1889)年にて大日本帝国憲法が制定されましたが、この憲法を憲法学者が解釈していく課程で、“Staatsform”というドイツ語の訳語として「国体」が用いられるようになります。

この“Staatsform”は、“Staats”「国」の“form”「形」という意味ですが、それは「君主国体」「貴族国体」「民主国体」という3つに分類されます。ここからも分かるように、これは政治体制と同義です。ですから、これは「国体」ではなく「政体」と呼ぶべきであるいう学者もいました。

一方、「日本国家の独自性」というところから、政治体制ではなく「国家の精神的特徴」といった意味で用いられることもありました。こうした考えは現代でも根強く、故・渡部昇一氏は「国柄」と同様のものという見解を示されていましたが、私はそこに疑問があります。

「人体」と「人柄」という言葉について考えてみてください。「人体」は人の身体を意味し、「人柄」は人の性格を意味します。この両者は明らかに違うものです。この事実を踏まえると、「国体」と「国柄」を安易に同一視することは難しいのではないでしょうか。

では、どのように考えるべきでしょうか。単なる「政治体制」でもなければ、単なる「国家の精神的特徴」でもなく、それらを包括する何か。別の言い方をすれば、そういった「政治体制」や「国家の精神的特徴」を現象たらしめる根底的存在、人々が日本人として「一体」であるという社会的事実こそ「国体」と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。

こうした「国体」という土台の上に政治体制としての「政体」があり、精神的特徴としての「国柄」が生み出される、このように考えて見るとすっきりします。

もちろん、そうした社会的事実たる「国体」の中心に天皇が居られます。そうした「国体」は、大東亜戦争に敗れた後も変化していないのではないでしょうか。

現に、大東亜戦争敗戦に際し、昭和天皇は勅語の中で「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」あるいは「誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ」と仰せになっています。

もし、これが単なる政治体制を意味するのであれば、大日本帝国憲法を実質的に否定する形で日本国憲法が制定された瞬間に、この勅語の中身が否定されたことになるわけです。あるいは精神的特徴という意味であれば、占領下において大きく歪められた側面もあります。「護持シ得テ」とも「精果ヲ発揚シ」とも言い難い部分があります。

けれども、「天皇を中心とする社会的事実」という観点に立てば、私たちは今日に至るまで天皇を中心とする社会を維持していると言えるのではないでしょうか。

御譲位を巡る今上陛下の「お言葉」がテレビで放映され、その「お言葉」によって日本社会が大きく揺り動かされました。日本国憲法では「象徴」うんぬん、あるいは「政治的権能を持たない」とされていようが、私たちは今上陛下の「お言葉」に強い衝撃を受け、その御意志を実現すべく特例法を制定したのです。これこそ、私たちが「天皇を中心とする社会を今日もなお維持している」ことの証左です。

なぜ、こうしたことが現実に起こったのでしょうか。それは単なる社会的事実であるとともに、国民が一丸となって天皇の御意志を実現せねばならぬという規範意識を私たちが潜在的に有しているからです。先に触れた教育勅語の「克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニ」の精神は、今なお息づいているのです。

このような「天皇に帰一することで、国家として一体になること」は、国際社会における日本人の大きな強みです。この強みを、どうやって守り、さらに強化していくか、これが今後の日本人にとっての課題でしょう。

金子宗德(かねこ・むねのり)里見日本文化学研究所所長/亜細亜大学非常勤講師

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