「アジア的様式」とは何か ― 岡倉天心を手掛かりに

 〈大東亜共栄圏〉と共通の価値観

大東亜戦争において〈大東亜共栄圏〉の構築を標榜した日本は、今から七十年前にあたる昭和十八(一九四三)年十一月、東アジア各国の指導者を招き、大東亜会議を開催した。

大日本帝国…東條英機(内閣総理大臣)
中華民国南京政府…汪兆銘(行政院長)
満洲帝国…張景恵(国務総理大臣)
フィリピン共和国…ホセ・ラウレル(大統領)
ビルマ国…バー・モー(首相)
タイ王国…ワンワイタヤーコーン親王
自由インド仮政府…チャンドラ・ボース(首班)

十一月四日、各国の代表団は昭和天皇に拝謁。五日から会議が始まり、六日には『大東亜共同宣言』が採択される。

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス

これに先立つこと約二年前の昭和十六(一九四一)年八月、米英両国は『大西洋憲章』を締結し、「一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ撰擇スルノ權利ヲ尊重ス」べきことなどを定めてゐるが、そこに自国の植民地は含まれてゐない。
そのやうな『大西洋憲章』に比するとき、大東亜各国の「自主独立」・「互助敦睦」を謳ひ上げた『大東亜共同宣言』は実に意義深いが、「共存共榮」といふ以上は何らかの普遍的理念を共有する必要があらう。それも、米英によつて示された価値観とは異なるものであることが望ましい。
とは云へ、〈大東亜共栄圏〉として想定されてゐた地域の気候風土・人情世相は多様だ。私が実際に訪れたのは、支那・台湾・韓国といふ三つの隣国に過ぎぬが、言語にしても味覚にしても一様ではなく、共通の価値観など存在するやうには思へなかつた。

 「アジアはひとつ」

いや、確かに共通の価値観はある、「アジアはひとつ」であると断じた人物が居た。その名は岡倉天心、近代日本を代表する美術史家である。
「Asia is one.」――「アジアはひとつ。」といふ語は、《THE IDEALS OF THE EAST WITH SPECIAL REFERENCE TO THE ART OF JAPAN》〔邦題『東洋の理想』〕の冒頭に記されてゐる。同書が英国ロンドンの書肆から刊行されたのは今から百十年前の明治三十六(一九〇三)年。なほ、今年は天心が歿してから百年といふ節目の年に当たる。
天心は、『東洋の理想』に加へ、『東洋の覚醒』(生前未公刊)、『日本の覚醒』(一九〇四年)、『茶の本』(一九〇六年)を英語で執筆し、「価値としてのアジア」を積極的に提示する。
かうした天心の営為は、若き日の大川周明に強い影響を与へ、《日本浪曼派》といふ発想の確立にも大きく寄与した。天心の中に、保田與重郎は「明治の精神」を、淺野晃は「マルクスに代る日本的方法」を発見したといふ。
戦後の一時期、天心の主張は顧みられなくなるが、竹内好によつて再び取り上げられ、全八巻に及ぶ『岡倉天心全集』が平凡社より公刊される。なほ、本稿の執筆に際しても、この全集を参考にした。

(以下、小見出しのみ)
生産力の向上と「アジア的様式」
今後の課題

続きは、月刊『国体文化』(平成25年10月号)をご覧ください。

金子宗德(かねこ・むねのり)里見日本文化学研究所主任研究員

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