3月16日、時事通信はフランスのUFP通信社からのものとして、スペイン王家を巡る以下のような報道を行った。
スペインの国王フェリペ6世(King Felipe VI・52)は15日、マネーロンダリング(資金洗浄)への関与が取り沙汰されている前国王で父のフアン・カルロス1世(Juan Carlos I・82)に対する王室手当を剥奪し、前国王からの相続財産を放棄すると発表した。父のスキャンダルから距離を置く姿勢を示したものとみられる。
スイスの日刊紙トリビューン・ド・ジュネーブ(Tribune de Geneve)は今月に入り、フアン・カルロス1世がサウジアラビアからオフショア口座を通じて1億ドル(約107億円)を受け取っていたと報じていた。
同紙によると、受け取った金はパナマの財団名でスイスの銀行口座に預けられていた。総額のうち6500万ドル(約70億円)は、フアン・カルロス1世から元愛人のコリーナ・ツー・ザインビトゲンシュタイン(Corinna zu Sayn-Wittgenstein)さんに送金されていた。
後に英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)は、フェリペ6世もフアン・カルロス1世在任中に設立された同財団基金の受益者であったと報道している。
ただ王室が15日に発表した内容によると、フェリペ6世は昨年4月、公証人に対して問題の財団からは一切金を受け取らないと明言しているという。
またフェリペ6世は、自身が財団の受益者に指名されていたことを全く知らなかったと述べているという。報道によると、この財団はフアン・カルロス1世の自家用ジェットのフライト費用として数百万ユーロを支払っていた。
さらに王室の発表によるとフェリペ6世は、違法な、もしくは王室の品位を損なう可能性があるいかなる資産や株、投資も放棄するという。
スペインのメディアによれば、これまでフアン・カルロス1世は国から19万4000ユーロ(約2300万円)以上の年間手当を受け取っていた。
フアン・カルロス1世は第二共和政の成立によってスペイン国王の実質的地位を追われたアルフォンソ13世の孫にあたり、スペイン・ブルボン家の亡命先であったイタリアのローマで1938年に生まれた。父のフアンはアルフォンソ13世の第4王子、母のマリアはシチリア・ブルボン家(イタリア統一前、同国南部に存在した両シチリア王国の旧王家)の一員であつた。フアンには兄が居たものの諸事情により「王位」継承権を放棄しており、フアンが名目上の「王太子」であった。アルフォンソ13世は1941年の崩御直前、「王位」をフアンに譲り、それに伴い第1王子であるフアン・カルロスが「王太子」となる。
この頃、ヨーロッパは第二次世界大戦の最中であった。スペインでは第二共和政を打倒したフランコが総統として全権を掌握してゐたが、彼は枢軸国寄りの姿勢を見せつつも中立を保ち、戦後に於いても権力は揺るがなかつた。1947年、フランコは国家首長継承法を成立させる。これによりスペインは「王国」とされるも、当面の間、国王は「空位」とされ、フランコは「終身摂政」となる。
自らの後継者である次期「国王」の指名権を得たフランコは、敗戦により王政が廃止されたイタリアから少年であったフアン・カルロスを呼び寄せて「帝王教育」を施す。陸軍を経てマドリード大学で学んだフアン・カルロスが30歳となった1968年、フランコから次期「国王」に指名される。
1975年11月にフランコが死去すると、国王フアン・カルロス1世として即位する。フランコの路線を継承して権威主義体制を維持するかと思われたが、41年ぶりに総選挙を実施したり、新憲法を制定したりするなど、他のヨーロッパの立憲君主国を模範とした政治の民主化を推し進めた。さらに、こうした動きを否定しようとする一部軍人のクーデタを鎮圧し、国民から称賛を浴びた。
その一方で、経済的に豊かとは言えず、失業率も高いスペインにおいて、フアン・カルロス1世の贅沢な暮らしぶりは非難の的となる。また、ボツワナでアフリカゾウの狩猟中に腰の骨を折った際には、世界自然保護基金の名誉総裁の地位にありながら絶滅危惧種を狩猟しようとする不見識に対して強い批判を浴びた。
こうした相次ぐ不祥事により国民からの敬愛が薄れた上に、年齢を重ねたことによる健康上の問題もあり、2014年6月に第1王子であるフェリペに譲位する。ただ、その後も前掲記事にあるような暮らしを続けており、国王たるフェリペ1世としては、たとえ父であろうとも断固たる処置を取らざるを得ないと判断したのであろう。
「国王」という存在が社会において存在感を保つには、単に血統を受け継ぐのみならず、道義の体現者であらねばならぬことを、フアン・カルロス1世は身を以て示しているように思われる。〔東山邦守〕