【書評】阿羅健一著『秘録・日本国防軍クーデター計画』

華麗多彩な人間模様
四六三頁の大册ながら一氣に讀める。敗戰處理、復員といふ混亂の時代に、生き殘つた參謀本部のエリート軍人たちは戰後社會でどんな生き方をしたか ― 多くの人が關心を向けるテーマだ。

例へば「敗戰時に軍務局軍事課員であつた竹下正彦は、昭和二十二年夏に新橋驛でアイスキャンデー賣りをしてゐて…」(257p)などとあれば、讀者は思はずニヤリとしてしまふ。竹下とは運命の八月十五日未明、義兄に當る阿南惟幾陸軍大臣の自刃を見屆けたあの竹下正彦陸軍中佐である。

むろん竹下ばかりではない。服部卓四郎といふ人物を巡る複雑な人間關係が、著者の得意とする綿密な調査と聞き取りにより、まるで「炙り出し」のやうに鮮やかに浮かび上がる。達意の文章によつてつむぎ出される多彩な人間關係の網の目は、今春亡くなつた山口昌男の作品世界を思ひ起させる。

恐らくはGHQの命令であらう。隸下の聯隊を殘して引き揚げてきた服部卓四郎大佐は、同様の舊軍人たちをまとめて戰史の研究と執筆に從事しつつ祕かに國防軍の再建を目指す。敗戰への深刻な反省の上に立ち、祖國再興の理想に燃えて邁進する服部とその理解者たちの念願は、紆餘曲折の末つひに達成されることなく終る。だが、彼らの眞摯な研究の成果は『大東亞戰爭全史』として殘り、今もなほ貴重な資史料として光彩を放つてゐる。

高級軍人の責任感
だが反面、本書に強い違和感を持つ向きもあるかも知れない。「資料整理部のひとり、原四郎中佐は幼年學校、士官學校、陸軍大學校すべて主席で卒業した。幼年學校から陸軍大學校まで首席で通すのは、八十年近い陸軍の歴史でわづか四人で、二十年に一人の逸材である」(147p)などを讀むと、「それがどうした」と言ひたくなる。また、「司會者は〈戰記ジャーナリズム〉の元締みたいな服部卓四郎氏で、植田謙吉元大將・畑俊六元元帥ら十五名の師團長會議。卓上に大きな地圖を擴げ、蟲メガネを用意して、お互ひに〈閣下、閣下〉とよび合ひながら説き去り説き來たる大戰囘顧は、まさに〈軍服なき作戰會議〉であつた」(182p「朝日新聞」昭和三十一年の記事引用)を見ると、「いい氣なもんだ」とつぶやきたくなる。

『大東亞戰爭全史』は勇戰敢鬪して散華した將兵の姿を描き出したけれども、二百萬英靈のうち「勇戰敢鬪できた死者」はまだしも幸ひ(?)であつた。制海權なき海域で輸送船ごと沈められ、虚しく海の藻屑と消えた多くの兵士たち、ニューギニア、フィリピンの島々に送られたまま補給を斷たれ、食料も醫藥品も彈藥もなく、ジャングルをさ迷ひつつ飢ゑと病に斃れた人々、無慮何十萬人とも知れぬ彼ら「戰病死者」への責めは一體誰がどう負ふのか。

敵軍が呆れるほどの拙劣無謀な作戰を繰り返し、無意味を通り越した犧牲を出し續けた主たる責任は、あげて大本營の參謀本部作戰課に屬したエリート軍人、すなはち本書に登場する「優秀な軍人たち」にあつたのではないか。服部とその周りに集つた人々の優秀さを説けば説くほど、「それなのにどうして…?」といふ疑問が湧いてくる。

實際に戰爭指導の中樞にあり、また外交の責任ある地位にあつた者が、戰後なに喰はぬ顏で復權し、甚しきは國會議員まで務めるといふ鐵面皮こそが、戰後日本の不道徳の根本原因であると指摘する聲(例へば飯田進『顏のない國』)は今も根強いのである。

吉田茂への鋭い批判
 「日本國防軍クーデター計畫」の眞相については本書を讀んでのお樂しみとして、評者が注目したのは戰後の日本を主導した吉田茂への鋭い批判である。高坂正堯の『宰相吉田茂』によつて再評價された吉田だが、ここにきてやはり彼の梶取りには問題があつた、いやあり過ぎた、との見方が強まつてゐる。

東條英機がピストル自殺に失敗したと聞いて、「往生際の惡い奴に御座候」と毒づいた吉田の有名な憲兵嫌ひ、陸軍嫌ひは、多分に誤解に基いてゐたことを、著者は本書で立證してゐる。とかく思ひ込みが激しく、他人への好惡の感情も激しい吉田の性格は、戰前のシナ外交にも影響を與へたらしい。張作霖の反日感情は、奉天總領事だつた吉田の張嫌ひが遠因となつた可能性を著者は指摘する。「好き嫌ひの果てに、外交の抛棄があつた」と。

占領軍としたたかに渡り合つた反面、「Y項パージ」と呼ばれる獨善人事を強行し、憲法を放置して國防權を占領軍に丸投げし、外務省の無責任體質を助長し、警察豫備隊の性格を歪め、國民の聲を無視した吉田の功罪を比較すれば、「罪」の方がはるかに重いのではないか。著者は吉田の敍述を「現在の國家に關するさまざまな問題は、吉田首相から發してゐると言へよう」と結んでゐるが、まことに至言である。外務省の自虐體質をその淵源に遡つて精緻に分析し、吉田茂を「國家的犯罪者」と斷じた杉原誠四郎の『外務省の罪を問ふ』(自由社)と竝び、本書が吉田評價の最前線となることは確實であらう。

井上寳護(ゐのうへ・ほうご)里見日本文化学研究所主任研究員

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