『国体文化』(平成24年4月号) 巻頭言
去る三月十一日、天皇陛下は国立劇場で行はれた政府主催の東日本大震災追悼式に御臨席あそばされ、優渥なる勅語を発せられた。
まづ犠牲者に対する哀悼の意を表された陛下は、福島第一原発事故のため避難生活を余儀なく続ける住民に言及されたり、種々の救援活動などに対して労ひの御言葉を下さるばかりでなく、諸外国の厚意に対しても感謝の誠を明らかにされた。
その上で、「被災地の今後の復興の道のりには、多くの困難があることゝ予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくやう、たゆみなく努力を続けていくやう、期待してゐます。そして、この大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝へ、防災に対する心がけをはぐくみ、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思ひます。今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同とともに願ひ、み霊への追悼の言葉といたします。」と、国民の進むべき途を示された。
国民生活の安定なくして「国体」の護持は不可能だ。震災発生以前の情況に「復旧」するのみならず、防災機能を高めた「人々が安心して生活できる国土」へと「復興」せねばならぬが、震災の発生から一年あまり経過した現在も「復興」の青写真は示されてゐない。国家百年の大計に基づいて「復興」を実現するためには、原発再稼働のみならず、新資源の開発や電力事業の再編成など政策の抜本的見直しが急務だが、野田政権はエネルギー問題の解決を図ることなく、「復興」を名目とする消費税の増税に血道を上げてゐる。かくの如き国家不在・国民無視の政権は「百害あつて一利なし」と云はねばならない。