報道によれば、平成三十年の明治百五十年を期して政府は記念事業を検討しているという。明治維新の意義、明治の精神に学ぶ貴重な機会になるだろう。
と言いたいところだが、「近代日本が道を誤った根本原因は、明治維新だった」であると書き連ねる原田伊織の『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』『大西郷という虚像』といった一連の著作がブームのようだ。「長州テロリスト」と「徳川テクノクラート」の対決図式に基づき、倒幕勢力の暴力・残虐性を殊更に強調したあげく、明治維新を「大義なき権力奪取」と全否定する。
近代化の歩みには批判すべき点もあるが、原田は何故かくも「日本」の正統を恢復しようとした先人を敵視し、悪しざまに罵るのか。〈原田伊織『明治維新という過ち』批判序説〉を〈補論〉として掲げた筆者は、原田と『実録・天皇記』の筆者である大宅壮一の心理を重ね合わせ、原田伊織を「大宅壮一の亡霊」と位置づけている。今後も出て来るであろう「原田伊織的なるもの」に対する根本的な批判にもなり得る。
もちろん、本書の眼目は、五つの書(『靖献遺言』『保建大記』『柳子新論』『山陵志』『日本外史』)を取り上げ、明治維新に大きな影響を与えた各著が執筆されるに至った背景や経緯を「魂のリレーの歴史」として丹念に解説するところにある。「万世一系の天皇による親政」を我が国体と位置付ける崎門の学問を現代に甦らせようとする部分だ。
吉田松陰は、勤皇僧・宇都宮黙霖と議論する中で、山縣大弐の『柳子新論』を奨められる。尊皇攘夷の立場ではあるものの未だ「討幕」まで考えるに至っていなかった松陰に対し、黙霖は徳川幕府に対する認識を改めるよう強く促したという。
明治維新は、このような真摯な思想的営為の積み重ねによるのだ。十一月下旬には山梨県を訪ねる二日間の宿泊研修を予定している(詳細は次頁)。大弐をお祀りする山縣神社にも足を運ぶ。これを縁に、本書で大弐ら志士たちの理想を振り返っておきたい。
(Y)[PDF]
(「国体文化」平成28年11月号所収)
坪内 隆彦 著『GHQが恐れた崎門学 明治維新を導いた國體思想とは何か』
▼展転社
▼平成28年9月30日発行
▼本体価格 一八〇〇円
▼ISBN 978-4-88656-430-6