未来小説「恋闕のシンギュラリティ」【01】プロローグ

シンギュラリティの直訳は技術的特異点です。ここでは特に、人工知能(AI)が高度に発達し、人知を超えるタイミングのことを意味します。近未来においてシンギュラリティが起こるか否かは専門家の間でも意見が割れていますが、いずれにせよAIが人類文明に大きな変化をもたらすことは確実です。とくに今後30年間は、人類史上かつてない激動期となるでしょう。
そのような中、わが国の政体もまた大変革を余儀なくされるでしょう。もし自ら変化できなければ、環境変化に適応できずに滅びの道を歩むことにもなりかねません。さらに言えば、人類が未曾有の段階に進んだ時、わが国体はどうなるのでしょうか。本連載の目的は、シンギュラリティ前後の日本を予測するのみならず、われわれが能動的に選び取るべき将来展望を小説仕立てで模索することにあります。
ぜひ気軽にお楽しみいただければ幸いです。(著者)

目が覚めたら、そこは真っ白い何もない部屋だった。

金属製の骨ばったシンプルなベッドに、白いシーツの布団が敷かれ、僕はそこに横たわっていた。壁にも天井にも境目が見られず、天井は全面的にフラットで、ぼんやりと白い光を放って、部屋を明るくしていた。いったいいつから、僕はここにいるのだろう。記憶もはっきりしない。長い夢を見ていたような気がする。

すると、壁の一部が割れて音もなくスライドした。入って来たのは白衣の、大きなマスクをした女性で、これまた大きな黒縁メガネをかけている。

「気分はいかがですか?」

どうやら僕は死後の世界にいるわけではないらしい。しかし何とも答えようがなく、黙って女性を見た。

「私はここの看護師で、ミツキと申します。美しい月、と書いて美月です。簡単に、バイタルチェックをしますね」

美月と名乗った看護師は、そう言いながら自分のメガネの縁に触れた。その瞬間、彼女が入って来た場所と反対側の壁に数字や図が無数に現れた。それらが一定間隔で変化している。

「脈拍も脳波も正常です。今日は点滴ですが、明日には普通の食事を召し上がれそうですね」

どうやら壁に表示されているのは、僕の身体に関する測定情報のようだ。しかし一体どうやって測定しているのだろうか。それに、壁にどうやって投影しているのか。プロジェクターもない。壁全体がモニターなのか。

「あの、すみません。ここは病院ですか?」

「はい。九州府立医療センターです。いまから医師の問診を行いますね。詳しくはそのあと、ご説明します」

再び彼女はメガネの縁に触れた。すると先ほどの壁面に、白衣を着た男性の映像が現れた。

「こんにちは。では早速、問診を行います。まず、お名前をお聞かせ願えますか?」

医師らしき男性が問いかけて来た。どこからか中継しているのだろうか。しかし妙な違和感を覚えた。

「僕は、飯倉清明です」

「はい、イイクラ・キヨアキさんですね。では次に、生年月日をお願いします」

「・・・平成10年5月5日生まれ、21歳です」

「はい、ヘイセイ・ジュウ・ネン、セン・キュウヒャク・キュウジュウ・ハチ・ネン、ゴガツ・イツカ生まれですね」

この時、違和感は確信に変わった。この医師の言葉は滑らかな日本語だが、僕の名前と、生年月日を復唱する時だけ、イントネーションがおかしい。声の明瞭さに比べて、口の動きも妙に小さい。戸惑い、看護師を振り返った。

「飯倉さん、どうしました?」

「これは、何ですか?」

「ああ、彼はイシ・エーアイの最新型なんですよ。とってもリアルでしょう。まるで生身の人間みたい」

メガネの向こうで、彼女の目元は笑っているように見えた。

僕は、ごく平凡で、健康的な大学生だった。それがどういうわけか、この病院で長い間意識を失っていたらしい。しかしそのきっかけがどうしても思い出せない。看護師も、それが事故だったのか、病気だったのか教えてくれなかった。

僕の問診を行なった映像の男性は、どうやら「医師AI」というものらしい。よくわからないが、会話した相手が人間でないことは確かだ。あのあと心理テストのような質問をいくつか受け、それに答えたのちに点滴を受けていると眠ってしまった。

昨日と同じように壁が割れ、看護師が入って来た。ワゴンを押している。

「おはようございます。お食事ですよ」

ベッドにテーブルを設置し、その上に盆を載せた。食事は白米、味噌汁、それにサラダと煮魚だ。

「お食事が済んだら、軽くリハビリをしましょうね」

僕は味噌汁を一口啜り、椀を盆に戻した。気になることが多くて、味はよくわからない。

「あの、美月さん」

目覚めてから会った唯一の人間である看護師の名を呼んだ。

「はい。お食事、口に合いません?」

「ここって、九州国立医療センターですよね。僕はいつ家に帰れるんでしょうか?」

「飯倉さん、ここは九州国立医療センターではありません。九州府立医療センターです。今後のスケジュールについては、今夜、政府の担当者から説明があるそうですよ」

そう言いながら、彼女がメガネの縁に触れると、白い壁に病院のウェブサイトが表示された。地上三階建くらいの白いビルの写真。『世界最先端のAI医療技術を。九州府立医療センター』と書かれている。

「府立ってどういうことですか?大阪府とかですか?」

「いいえ、その名の通り九州府です。この病院は九州府庁が管轄しています」

「九州府庁?」

僕もいちおう法学部の大学生だ。しかしそんな名前の行政機関は聞いたことがない。何やら気分が悪くなった。まだ夢を見ているのだろうか。美月看護師は会話を打ち切り、部屋を出て行ってしまった。

その夜、僕の目の前に現れたスーツ姿の中年男性が告げた内容は、まさに悪夢だった。

「飯倉清明さん、あなたは、いわゆるコールド・スリーパーです。30年近い眠りから、解凍されて目覚めたのです」

「コールド・スリーパーってなんですか?」

「いうなれば長期間にわたり冷凍保存された患者のことです。現時点で治療方法が確立していない病気で、将来治療方法が発見されると期待できる場合、患者の身体を長期スリープ処置によって保存することがあります」

「僕は入院する際の記憶がありません。そんな難病に罹っていたという自覚も全くありませんでした。いったいなぜ、冷凍保存されてしまったのでしょうか。これから治療されるんですか?」

僕は男に渡された名刺を見ながら、訊いた。名刺には、『内閣府中央情報局情報管理官 斯波 徹』とだけ書かれている。他の情報がいっさい、無い。

「飯倉さんのスリープ処置は病気や怪我によるものではありません。ご本人の意思確認もなく処置されたことについては、私共も遺憾に思っております。当時の責任者に代わり、お詫び致します」

斯波という男は、深々と頭を下げた。

「病気でも怪我でもないって、何なんですか?」

「この処置は、実は、飯倉さんのお父様のご意志でした」

「僕には父親はいません。名前も知らないんです」

「そのようですね。その方のことを私から明かすことはできませんが、お父様は当時確立したばかりのコールド・スリープ処置技術、正確にはハイパー・スリープと言いますが、これを施し、血統を残す決断をされたのです」

僕は会ったこともない父親の「決断」に、怒りを通り越して呆れた。本人に無断で息子を生きたまま冷凍するなど、それこそ冷血人間ではないか。まだ幼い時に死別した母が生きていたら、そんな蛮行は認めなかった筈だ。

「今はご理解いただけないと思いますが、お父様は私的な理由によって飯倉さんを処置されたわけではありません。あくまで日本のためのご決断でした」

「それって、実験材料ってことですよね」

「・・・そういう要素も、あったかも知れません」

「その、父親とやらには会わせていただけないのでしょうか」

「お父様は、飯倉さんを処置されたすぐ後に亡くなりました。末期癌だったとのことです。ご愁傷さまです」

何ということだ。怒りをぶつけるべき相手もいなくなってしまった。

「今後の飯倉さんの生活については、政府が保証させていただきます。住居もご用意しております。こちらでのリハビリが済み次第、お移りいただきます」

「大学には復学できるのでしょうか?」

「・・・大学?・・・ああ、そうですね。大丈夫です。現代ではご自宅にいながら、あらゆる単位を取得できます。修士課程に進むことも可能ですよ」

「それって放送大学のことですか?僕はキャンパスで学びたいんですが」

「飯倉さん、この30年で時代は大きく変わりました。今の日本では、誰でも、どこででも、何でも、自由に学ぶことができます。それに、わが国には大規模な教育施設を維持する予算的余裕はありません」

僕が冷凍されている間に、大学も無くなってしまったというのか。およそ30年の間に、何が起こったのだろう。僕はこれ以上質問することが怖くなった。

斯波は、黙り込んだ僕を励ますように言った。

「現代日本の生活に早く慣れていただけるように、最新型のAIデバイスをご用意しました。わからないことがあれば、何でもコレにお尋ね下さい」

そう言って斯波は足元から小動物を拾い上げた。いつの間にこの部屋に入ってきたのだろう。白猫である。

「イイクラ・キヨアキさん、こんにちは。私は《Tama 4.0》です」

僕は思わず悲鳴をあげ、仰け反った。猫が喋ったからだ。

(続く)

※この作品は、「小説家になろう」にも掲載しています。

本山貴春(もとやま・たかはる)戦略PRプランナー。独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会副代表。福岡憂国忌世話人団体・福岡黎明社事務局長。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。

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