水戸黄門時空漫遊記(伍)ある囚人の予言

5月の大型連休は部活に明け暮れていた。夏の大会へ向けて、顧問による指導にも熱が入っている。平野中学校は開校してまだ3年しか経っていないが、強豪校からの転入も多く、去年は九州大会で準優勝。先輩たちは「今年こそ全国大会に出るんだ」と息巻いている。

「今日は一段としんどかったねー!」

武道場のシャワーを浴びて制服に着替え、廊下に出るとマイが話しかけてきた。

「ああ、そうだね」

近頃、マイとの会話が気恥ずかしくて仕方ない。裏腹に、マイから声を掛けられるのを心待ちにしている自分がどこかにいる。マイは男子だろうが女子だろうが、誰とでも楽しげに会話する。奥手の僕からすると実に羨ましい性格なのだ。

「もうすぐ中間テストだね。キミ、3学期の期末テストかなり良かったでしょ。どんな勉強してるの?」

「良かったのは国語と社会だけだよ。他はボロボロ」

「そうなんだ。私、その2教科が苦手なの。勉強教えてくれない?」

「うーん。そう言われても、特に勉強してるつもりはないんだよね。読書が趣味だから、それが効いてるのかも」

「へーっ! そうなんだ。私は読書嫌い。すぐ飽きちゃうんだよね」

「僕は活字中毒なんだ。街を歩いてても、看板とかの文字を追っちゃう。読書なんて無理にするもんじゃない。面白い本を読めばいいんだよ」

「私でもすぐに読めるような、面白い本ある?」

「そうだなあ。昭和時代の作家だけど、星新一の短編小説なんてどうだろう。すごく短くて面白いよ。歴史の勉強にもなるし」

僕は最近SF小説にハマっており、星新一に始まって小松左京、筒井康隆、半村良など昭和時代の作品を濫読していた。

「星新一ね…。わかった! 帰ったら早速読んでみる。そういえば、今度の歴史VRは昭和時代だっけ?」

「いや、平成初頭じゃないかな。バブル崩壊の頃だよ」

「ふーん。バブル崩壊って何?」

僕らは歩きながら会話していたのだが、なかなか終わりそうにない。マイの調子に合わせるうちに、自宅とは反対方向に進んでしまっていた。仕方ない。夕食前の散歩だと思おう。クタクタだけど。

「4年前に国民独立党単独政権ができて、すごく好景気になったでしょ? それまでの日本経済は『失われた50年』っていう超長期不況でね、その始まりとなったのが平成時代初頭のバブル崩壊なんだ」

「そんな前から不況だったんだ!」

「不況が半世紀も続いたことで、令和時代の日本は超高齢化社会になって、明治以来続いていた社会制度のほとんどが崩壊したんだ。政治家も既得権益にしがみつくばっかりでどんどん劣化して、クーデターによって丸ごと作り直さざるを得なくなったんだよ」

「そんな昔に、原因があったんだ。歴史を学ぶって、大事だね!」

夕日も沈み、街は薄暗くなりつつあったが、振り返ったマイの瞳と頬だけは輝いていた。

   *

僕とマイは、岡田という60代の男に伴われて、古びた赤煉瓦の建物へ入った。平成3年の千葉刑務所である。刑務所の面会は一度に3名までという人数制限があるため、他のメンバーはこの時代の東京を散策している。狭苦しい面会室でしばらく待たされると、丸刈りで痩せこけた男が入ってきた。生気はないが、目だけがギラギラと輝いている。

「岡田先生、お久しぶりです。面会に来ていただけるのを心待ちにしておりました! 即位恩赦は、もう出ないのでしょうか?」

アクリル板の向こうで、高橋という名の服役囚が叫ぶ。

「高橋君、申し訳ない。われわれの力も及ばず、これ以上の恩赦はない」

岡田が消え入るような声で答えた。高橋はガックリと肩を落とす。

「ちくしょう…日本は、天皇あってこその日本なのに…。崩御による減刑もなく、即位によってもないとは…。ぬか喜びの後の絶望で、何人もの囚人が首をくくってしまった…」

この高橋という30代の男は、民族派団体に所属し、数年前にスパイ粛清事件を引き起こしたことで逮捕・投獄された。VRとはいえ、殺人犯と面会することに僕は緊張していた。僕とマイは同じく20代の風貌でログインしていたのだが、高橋は僕らのことは目に入らないかのようだった。

「高橋君、今日は残念な報告をせねばならない。われわれの組織は、警察の取り締まりによって壊滅的打撃を受け、資金源も絶たれた。もうこうなっては、いかなる実力行使も不可能だ」

岡田の言葉に反応して、高橋が顔を上げた。

「先生、獄中にいてもシャバで起きていることはわかります。いや、獄中にいるからこそ見えるものがある。バブルに浮かれた日本国民には、いくらテロに訴えたところで、われわれの誠は届きません」

「そのバブル景気も、もう終わりだ。去年大蔵省が決めた土地取引の総量規制によって、日本経済は急速に悪化している。日本政治の自殺行為だ。実は昨夜、久々に霊告を受けてね。向こう50年間、日本は衰退し続けるそうだよ」

「不況になれば、またぞろ共産主義者どもの勢いが増すでしょう。しかし、われわれとしても願ったり叶ったりだ。左翼が勢いを取り戻せば、右翼も息を吹き返す。すべてはバランスですよ」

「そうかね。しかし全共闘出の連中はいまや大手新聞に入って中堅どころとなり、体制の内側から世論を煽動している。われわれの調べでは、官界にも奴らのシンパは多い。まさにトロイの木馬だよ。われわれが地下で抵抗している間に、左翼は白蟻のように日本を内側から喰い散らかしているんだ」

「仰る通りです。これから政界も大混乱に陥るでしょう。危機をチャンスに、ですよ。僕はいま小説を書いているんです。日本的革命小説です。これが世に出れば、きっと世間は衝撃を受けますよ。ハハハハハハハ」

岡田が頷きながら諭す。

「高橋君、これからは言論の時代だ。暴力ではなく、言論で戦うんだ。明治の不平士族も、刀が折れた後は自由民権運動を興したではないか。君には素晴らしい頭脳がある。出所したら、民族主義運動のイデオローグになってくれ。そうだ、今日は若者を連れてきた。紹介しよう。斯波君と北野君だ」

「高橋さん、初めまして。斯波です。これを見てください」

僕はポケットから葵の御紋の入った印籠を取り出し、かざした。その途端、高橋の瞳はうつろになり、ゆっくりと項垂れた。

   *

「高橋よ、お主の未来構想をこやつらに語って聞かせるのじゃ」

「ご老公!」

気がつくと、隣にいたはずの岡田が水戸黄門にすり替わっていた。

「ハハハハハハハハ!」

高橋は突如、高笑しながら立ち上がった。

「僕は酒が呑めない。一滴もダメだ。しかしね、酔うことはできる。それはね、革命だ。革命を頭の中でシミュレートすることで酔えるんだよ!」

横を見ると、マイが驚きのあまり固まっている。高橋は狭い面会室をぐるぐると歩き始めた。

「革命、いや、維新だ。日本はもう一度維新をやらねばならん。維新とは、独立戦争だ。それも、あくまで手段にすぎん。その先にあるのは、世界維新だ。もうアジアを侵略する必要はない! 地政学的に、日本が有色人種を統率し、発展途上国を糾合し、前近代的自然社会を世界化する! これこそが非合理主義世界革命なのだ!」

高橋はここで一息つき、深呼吸する。だがすぐに、狂気の演説が再開された。

「まずは政権奪取だ! 21世紀初めに日本経済は必ず破綻する。国際通貨危機、信用不安、金融不安による経済危機だ! 古今東西の予言書において、21世紀初頭の大混乱が予告されている。その時はすべての先進国が混乱に陥り、日本を助けてくれる国はない。米軍による占領を永続化させるヤルタ・ポツダム体制は自壊する。その時こそ、われわれ民族派は理科系の同志を総動員し、ハイテク革命によって政権を奪取する! 電子兵器によって核をも無力化する。米ソの核も怖くない。独立日本は超ハイテク国家になる。そして食糧、情報、エネルギー、軍事を掌中に収める。農業もハイテク化し、工業化する。もう台風も害虫も怖くない。遺伝子工学によって食肉も農作物同様になる。無線通信ネットワークを世界中に張り巡らせ、米国の情報支配を終わらせる。水素エネルギー、核融合、革新的燃料電池、静止衛星による宇宙発電、海洋エネルギーによって石油メジャー支配を終わらせる。新国家の教育は理科系英才教育に集中し、飛び級を認め、天才児を育てる。人工知能とバイオコンピュータで日本全土を高度技術集積都市化し、ハイテク軍を作る。そこにアジア・アフリカの軍隊を大動員すれば欧米とのパワーバランスが逆転する。あらゆる兵器を国産化し、無人兵器で通常兵器を無力化し、高軌道衛星で地上の全てを監視、敵が動けば即座に宇宙から殲滅する。遺伝子解析によって万能ワクチンを創造し、核兵器も、生物兵器も、化学兵器も無力化し、世界は破壊衝動から科学的に解放される! 日本が世界を、人類を救うのだ!」

「すごい…。ほとんど当たってる…」

マイが呟く。高橋の演説は早口で滑舌も悪いため聞き取りづらかったが、僕らが知っている後の歴史の多くを言い当てているように思えた。

「石原莞爾の予言した世界最終戦争に勝利する。有色人種が白人に勝って、世界政府を樹立する。白人支配層と共産カルトによる人類殺戮の罪が裁かれる。日本が世界維新の長州となる。インドを水戸に、中東を薩摩に、アフリカを土佐に見立て、維新を輸出する。幕府たる米ソ中欧を倒し、五稜郭たるペンタゴンまで追い詰めねばならぬ! 腐り切って陰謀渦巻く国連は解体だ! すべての民族は自立し、資本主義と共産主義が同じく夢見た世界均一化の野望は絶たれ、多極的世界が実現する。老荘ユートピアだ! 公害も、飢餓も、核戦争も、金融不安の恐怖からも解放される! 科学技術は世界政府に集中させ、最先端技術によって天候を操り、空気は澄み渡り、温暖化や寒冷化の心配もなく、宇宙へ進出し、大自然は美しい姿を回復し、生態系は正常化し、地上は楽園になる!」

ちょっとついていけなくなってきた。思わず口を挟む。

「高橋さん、なぜそうなると思うのですか?」

「石原莞爾も言っているがね、経文に書いてあるんだ。釈迦入滅の二千五百年後に世界が統一されるって。それも東の海にある小さな島に弥勒が現れ、世界を統一すると予言している。西暦2020年から2050年の間だ。旧約聖書の火の洗礼、ヨハネの黙示録、ノストラダムス、あらゆる予言が21世紀の混乱と、日出る国による世界統一を示している! 空海も最澄も日蓮も、日本より弥勒が出ると言っている。神武天皇が東に向かって一度敗北しながら次には勝ったというのも予言だ。八紘一宇は未来の世界統一のことだ! その中心にあるのは天皇だ! 天皇こそが、世界維新のために準備された中心原理に他ならない!」

叫ぶように怒涛の演説を続ける高橋の口からは白い泡が吹きこぼれている。

「時間だ。戻れ」

刑務官が立ち上がり、高橋の肩を押さえると、忙しない動きはピタリと止まった。

面会室を出る瞬間、高橋は振り返って僕らにこう言った。

「君たちは未来から来たんだろう? どうだい、僕の計画は成就したかい?」

   *

「ムネキヨの勧めてくれた星新一の短編で、面白いのがあったよ。『アリとキリギリス』っていうのでね、イソップ物語とは結末が違うの」

次の日、登校早々にマイが話しかけてきた。

「へえ。それは読んでないな。どんな結末なの?」

「年老いたアリはキリギリスに食糧を分けるのに反対するんだけど、若いアリが、備蓄がたくさんあるから分けてやろうっていうの。それでね、年老いたアリが、備蓄が尽きるまでの年数を計算するんだけど、あと何十年も働かなくても尽きないことがわかって、説得を諦めるって話」

「なんだそれ。まるでバブル崩壊後の日本だね」

僕はといえば、あの高橋という男のことが気になっていた。帰宅後に調べたところによれば、高橋は出所後に見沢知廉の名で小説家としてデビューするも、その僅か数年後に自殺を遂げている。バブルの夢から覚めることなく、ずるずると衰退へ進んだ日本に、彼の「国家百年の計」を聞く者はほとんどいなかったようだ。

(続く)






本山貴春(もとやま・たかはる)戦略PRプランナー。独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡憂国忌世話人団体・福岡黎明社事務局長。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。

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