水戸黄門時空漫遊記(陸)天才博士の奇行

空梅雨である。

たいした距離ではないのだが、自転車で通学していると学校に着く頃には汗だくになる。今朝は珍しく父親が在宅しており、学校生活のことを根掘り葉掘り聞いてくるのが鬱陶しくて早めに家を出たところ、僕らの中学校が入っているビルの前で同級生のマサルに出くわした。

「やあ、ムネキヨくん。おはよう」

「ああ…おはよう」

自動車で登校する生徒は珍しくない。しかしマサルが乗ってきた黒塗りの車には、なんと運転手らしき大人が乗っていた。

「マサルくん、随分時代がかった乗り物だね」

「恥ずかしいからイヤなんだけどね。周りがうるさくてさ」

平野中学には政治家や高級官僚の子弟が多い。マサルの親がどんな立場なのかは知らないが、余程の子煩悩に違いない。

「ところで、北野さんに聞いたんだけど、ムネキヨくんは随分な読書家らしいね。どんな本を読むの?」

北野といわれて一瞬だれのことかわからなかったが、読書の話をしたのはマイだけだ。そういえば彼女の名字は北野だ。

「僕はもっぱら小説専門だよ。最近は歴史小説とか純文学にも手を広げてる」

SF小説にハマっているなんていうと、優等生のマサルにバカにされそうな予感がしたので、思わず見栄を張ってしまった。まあ、実際最近になって読み始めたのでまんざら嘘ではない。

「そうなんだ。僕も昔の小説は好きだよ。最近はね、社会科学の本も並行して読むようにしてるんだ。そうすると、物語の背景がわかってより面白いよ」

「社会科学? なんだか難しそうだな」

「そんなことないよ。昭和時代の学者なんだけどね、小室直樹とか山本七平とか、わかりやすくて勉強になるよ」

聴いたこともない学者の名前を並べられて、またもや敗北感を味わいながら教室に入った。

   *

「どうだ、みんな歴史VRにもだいぶ慣れてきたか?」

社会科教師で担任でもある古畑の問いかけに、若干教室がざわつく。

「先生」

「なんだ、マサル」

「どうしてログインする時代が近現代ばっかりなんですか? どうせなら戦国時代とか、せめて幕末に行ってみたいです」

「良い質問だ。どうしてだと思う?」

教室が静まり返る。

「どうせ大人の事情だろ」

クラス中の視線が僕に集まった。しまった、思わず声に出してしまっていた。

「ムネキヨ、正解」

なーんだ、と教室が笑いで包まれる。

「理由は二つだ。一つは、いまみんなが生きている時代と歴史が繋がっていることを実感してもらうためだ。だから近い時代から約10年おきに遡っている。もう一つは、再現性の問題だ。こっちが大人の事情なんだが、過去に遡るほど資料が乏しいのでどうしても再現性が低くなってしまう。最新の研究ではなんとか室町時代くらいはいけるらしいんだが、教材にするまでには至ってないらしい」

「でもやっぱ、有名な歴史上の人物を見てみたいなあ」

ヨースケの発言に、「そうだそうだ」とクラスの連中が同意する。

「ちなみに今日会いに行くのは、昭和後期の偉大な社会科学者である小室直樹博士だぞ。みんな、心して教えを乞うように!」

今度は教室がブーイングに包まれる。どこかで聞いた名前だな、と思っていると、マサルと目が会った。

   *

「えらいボロいアパートだな…」

うんざりしたようにヨースケがごちる。

「ねえ、みんな。今日は僕に任せてもらっていいかな? 聞きたいことがいっぱいあるんだ」

五人いる班員のうち、マサルだけがスキップでも始めそうなくらいウキウキしている。尊敬する人物に会えるのが余程嬉しいらしい。他のメンバーは無言でうなずく。

「なんじゃ、お主ら。今日はいつもに増してやる気が見えんのう。ちっとはマサルを見習わんかい」

今日は初めから水戸黄門が引率している。一応、引退まぎわの大学教授と、そのゼミ生という設定である。薄暗い通路の突き当たりのドアの前に立ち、マサルがドアをノックする。

「こんにちはー。小室先生、いらっしゃいますかー?」

応答はない。耳をすますと、部屋の中からイビキが聴こえる。

「開けてみよ」

「え、良いんですか?」

マサルがおずおずとドアノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。

「キャー!」

マイが悲鳴を上げる。部屋を覗くと、中年男性がパンツ一丁でゴミの山に埋もれてひっくり返っていた。

「げげ、きったねえ…。しかも狭い…」

ヨースケの言う通り、その部屋はまさにゴミだめのように色んな物が散乱し、座る場所もないくらい狭かった。比較すると、わが家のトイレくらいの空間に机と本棚と二段ベッドが詰め込まれている。部屋の主は来客にも気づかず、高イビキのままである。

呵呵呵呵かかかか。女人にはちと刺激が強すぎたかのう。ほれ、マサル。印籠で起こしてやりなさい」

いわれたマサルがスタスタと男に近づき、顔の前に印籠をかざす。

「小室先生! ご老公のおなりです! お目覚めください」

「うーん。むにゃむにゃ」

「印籠が効かないね」

「こりゃ強者つわものだ」

僕らが口々にいうと、みるみる水戸黄門が不機嫌になった。

「こうなったら奥の手じゃ。マイよ、博士のそばで猫の鳴き真似をせい。博士は無類の猫好きで、かつ女好きなのじゃ」

「えー。やだ」

よくわからない押し問答をしていると、中年男が妙な声を発した。

「…にゃ〜ご…」

   *

博士の居室があまりに手狭で入りきれないため、僕らは博士に連れられて近所の公園に移動した。丸顔に黒縁メガネ、下駄履きの博士は何故か小脇にウイスキーの瓶を抱えている。

「いやー、ついに徳川光圀公にお目にかかれるとは、不肖小室、断食で霊感を磨いた甲斐がありましたぞ」

「うむ。小室うじ、今日はこの者共に歴史の何たるかを教えてやって欲しいのじゃ」

博士と黄門さまはすっかり意気投合し、僕らは遠巻きにそれを眺めている。マイなんかはすっかり怯えた様子で、僕ら男子を盾にしていた。ひとりマサルだけが身を乗り出している。

「小室先生、僕は先生のご著書を全て拝読しました! 本当に面白くて勉強になります」

「ん? 俺は一冊しか書いてないけどなあ。論文を読んでくれたのかい?」

「あっ…。すみません。今年は昭和54年でしたね…。いや、こっちの話です。先生はどうしてそんなに博学でいらっしゃるんですか?」

「俺はねえ、もともと物理学から入ったんだ。えある祖国が鬼畜米英に敗れるのを目の当たりにしてだね、いつか原爆を超える新兵器を開発して大日本帝国を復興せんと志したのだ」

「そうだったんですね! てっきり先生はもともと社会科学がご専門かと思っておりました」

「いくら強力な武器を持ったところで、それを使う人間が使い方を間違えば国は滅びることに気づいた。それでだね、経済学を極めて世界を制覇しようと考えたわけだ。しかしそれでも足りない。わが国に最も足りないのは社会科学の基礎なんだね。いまの日本の社会科学はとてもじゃないが学問と呼ぶにはあたいせん。だから俺がその基礎を作ってやろうとしとるんだ。そしてだねえ、一つの学問を極めるには、専門分野を絞ってはいかん。あらゆる学問を基礎から学ばねばならん。俺はそのために正統派の一流学者に直接学んできたんだよ」

時々ウイスキーをラッパ呑みしながら滔々と語る。どうやら単なる酔っ払いではないようだ、と漸く見直した。そこで、僕も気になったことを質問することにした。

「博士、先ほど大日本帝国の復興とおっしゃいましたが、戦前の日本は素晴らしい国だったとお考えですか?」

博士が目を丸くしてギロリと僕を睨む。

「無論、いまの腑抜けた日本よりは遙かにマシだったね。なんせ、政治家に死ぬ覚悟があったから。かつての政治家はだな、事を成そうと思えば常に暗殺の危険につきまとわれていたもんだ。そして、草莽そうもうの側にも、天下国家のためにいつでも君側くんそくかんを己の命と引き換えにせんという自負心があったというわけだ。政治というのはだね、それくらいの緊張感がないといかんのだよ。しかーし、戦前戦後には一貫して同じ社会構造的欠陥があるのも事実だね。それは官僚エリート主義だな。大日本帝国はエリート官僚によって滅び、戦後日本もまた同じ轍を踏まんとしている。俺はこの構造的欠陥を学問によって解き明かし、日本民族に覚醒をうながしたいっと、こう思っとる」

半分くらい何を言っているかわからなかったが、博士の剣幕に気圧けおされて、とりあえず頷いておいた。さらにマサルが質問を重ねる。

「小室先生、この時代…じゃなくて現在の日本は、敗戦のショックのためか極端な平和主義・非暴力主義に陥っているようですが、先生のおっしゃるアノミー・・・・というのは、特殊な現象なのでしょうか?」

もはや完全に何を言っているのかわからない。アノミーってなんだ?

「おおっ! 確かに君は俺の本を読んでいるようだね。明日からウチのゼミに来なさい。なーに、授業料はいらん。どうせ貧乏学生の溜まり場だ。俺なんか、ほれ、このとおりルンペンさね」

こっそり水戸黄門に尋ねる。

「ご老公、アノミーとかルンペンとか、意味がわからないんですけど」

「うむ。アノミーとは、それまでの社会的規範や価値観が失われた危機的状態のことじゃな。それまで信じられてきたものが根底から覆されることによって、社会規模で心理的パニックが生じ、秩序が失われるということがある。例えば経済恐慌によって自殺者が急増するというのも一種のアノミーといえるな。それからルンペンは、お主らの時代にはおらんが、貧さのあまり家もなく野外に住まいする者のことじゃな。さらに、失業者という意味もある」

「光圀公の仰せの通り、俺はまさしく失業者だよ。この愚かな日本は、俺のような天才にふさわしい職を与えようとせん! しかっし! そのうちノーベル賞でもって一気に見返してやるのだ!」

ざとく小室博士が割り込んでくる。

「現代日本はだね、無限に拡大再生産される、それも複合的なアノミーによってだね、人々は村落共同体と企業共同体のはざまにおいて恒常的に新環境への適応をいられ、それらの矛盾に苦しめられ、慢性的なアノミーに苦しめられているのだ! つまりだね、アノミーは世代を断絶し、個人は不安になり、真面目な小市民が自殺願望や破壊衝動を溜め込んでいって、いつ爆発するかわからん、極めて危険な状態がこれからもずっと続くのだ! 総理大臣もだね、いまの日本は間違っている、何とかしなければとんでもないことになるなどとのたまいながらだね、10年以上も政権を独占しつつ何もできんではないか! 全く無能の極みである! 俺は許せんのだよ!」

いつの間にか公園に野良の三毛猫が現れ、博士の脚に身体を擦り付けている。たった今まで激昂していた博士もそれに気づき、猫撫で声で言った。

「猫は良い。猫は自由だ。君たちはニュージーランドの鳥を知っているか? ニュージーランドには猫がいないために、かの地の鳥たちは飛ばなくなった。日本の政治家も同じなのだよ。飛ばない鳥を狩る猫がいなければ鳥も肥太るように、怠ける政治家を殺すテロリストがいなければ、政治家も必死で働かなくなり、国家が衰退するのも道理というのものだ。わが国には猫が必要だとは思わんかね? ああ、僕は猫になりたい。…にゃ〜ご…」

野良猫は餌をもらえないと見切ったのか、のんびりとした足取りでその場を去った。博士はよろよろと立ち上がり、心許こころもとない足取りで猫が消えた公園端の茂みに向かって歩きだす。僕らは呆気にとられて見送っていたのだが、マイだけが心配そうに駆け寄る。

「先生、大丈夫? えっ…キャーー!」

マイが一目散にこちらへ逃げ帰ってきた。博士が対面する草むらから、何やら湯気が立ち上るのがほの見えた。

(続く)







本山貴春(もとやま・たかはる)戦略PRプランナー。独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡憂国忌世話人団体・福岡黎明社事務局長。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。

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