夏休みだが、僕はほぼ毎日学校へ通っていた。部活動のためである。
この夏の大会は3年生を中心とするレギュラー陣が善戦したものの、全国大会出場を逃した。3年生の引退に伴い、僕ら2年生の中でレギュラー枠の争奪戦が始まる。ただでさえ経験の浅い僕は、小学校時代から剣道をやってきた部員たちより弱い。対外試合に出るには、とにかく練習するほかないのだ。
「今日も一人か…」
武道場に入り、しばらく素振りをしていたが部員は誰もこない。3年生が引退して以降の夏休み期間中は自由参加なのだが、それにしても僕一人では自主練と同じだった。部員たちは、それぞれ夏休みを謳歌しているのだろう。
「あ、やっぱりここにいた!」
私服姿で武道場に入ってきたのはマイだった。
「お、練習するの?」
あまり熱心ではないが、マイも一応剣道部員である。
「えー、やだよ。汗かくじゃん」
「じゃあ、なんで来たんだよ」
僕は言いながら素振りを再開する。剣道の基本は素振りである。まだ筋力が足りないのか、僕は竹刀を振る速度が遅い。もっと早く振れるようにならないと、打突を容易に避けられてしまう。フォームは良い、と顧問からは褒められるのだが、試合には勝てない。
「ふー。疲れた」
100回以上、素振りをこなして一息着くと、マイが武道場の壁際に座って僕のほうを見ていた。
「そろそろ時間だよ」
「え、何か予定あったっけ?」
「ムッくん忘れたの? 今日は社会科の特別授業だよ」
*
僕ら一班は、JR鹿児島本線で博多駅から東郷駅へ向かい、無人タクシーで国会議事堂を目指していた。
「らしくないねえ、ムッくん。マイが呼びに行かなければすっぽかしてたでしょ」
この調子で道中ずっとヨースケにからかわれていた。
「悪かったよ。でも、その呼び方はやめてくれ」
僕が特別授業のことをすっかり忘れていたせいで、目的地への到着がギリギリになってしまった。夏休み期間中、平野中の2年生は班ごとに最低1箇所の社会科見学を行うことになっている。僕らが選んだのは国会議事堂だった。
「見て見て、でっかいよ!」
無人タクシーの車窓から、ピラミッド型になった国会議事堂の突端が見えてきた。タクシーが正門に差し掛かると、自動でゲートが開く。そのまま、議事堂前で下車すると、そこには驚くべき〈人物〉が僕らを出迎えていた。
「ご老公!」
「あれ? ここって現実空間だよね?」
そこに立っていたのは、いつも歴史VRをナビゲートしてくれている水戸黄門だったのだ。
「呵呵呵呵。お主ら、驚いたか。儂はアンドロイド版の水戸黄門じゃ。今日はお主らを案内するために、わざわざ現実空間に来てやったのじゃぞい」
「うへえ。現実空間でまでAIに説教されるのか…」
「喝っ! ヨースケ! 聴こえておるぞ!」
*
「おっほん。えー、この国会議事堂は、昭和11年に帝国議会議事堂として東京に建設された。その建設計画は明治時代に遡る。この議事堂が完成するまでに3度にわたって仮議事堂が建設されておる。まさに、日本憲政史の苦難の歩みを象徴するものじゃな。正面向かって左手に衆議院、右手に参議院が入っておった。しかし令和12年の関東・中部大震災によって崩壊。宗像市に臨時首都が設けられたことに伴い、国会議事堂もここへ移転した。そして昨年、ようやく議事堂の復刻再建が成ったというわけじゃ。ちなみに現在、地上階は憲政博物館になっておる。衆参本会議場を含め、国会機能は全て地下じゃ。なぜだかわかるかな?」
「はい、核攻撃から守るためです」
「うむ。さすがマサルじゃな。じゃが、脅威は核攻撃だけではないぞ。実際に去年は無人機によって生物兵器や化学兵器による攻撃にも晒された。まあ、最近は多くの国会議員はオンライン出席じゃから、ここに集まることも少ないがのう。とくに参院議員の大半は州知事兼任じゃから、地元を離れることはほとんどないのじゃ」
水戸黄門の解説を聞きながら、僕らは国会議事堂、正確にはその上階にある県政博物館に入る。
「えー、じゃあここ、空っぽなの? もったいないなあ」
「そんなことはないぞ。ほれ、みんな、このARグラスをかけるのじゃ」
僕らは配られたメガネをそれぞれ装着する。
「うわっ!」
そこには、時代がかったスーツ姿の大勢の男女が赤絨毯の上を行き交っていたのだ。八割以上が中高年の男性で、襟に大きなバッジを付けている者が多い。制服を着た警備員の姿もある。
「昔の政治家は議員バッジというものをつけてたって、教科書に書いてあったな」
マサルがつぶやく。バッジなどという簡単に偽造できるもので身分を証明していたのだろうか。のどかな時代だ。僕らは、そうする必要もないのにAR人間たちを避けながら、分厚い木製の扉を押して、部屋の一つに入った。そこには大勢のAR人間が密集し、何やら紛糾しており騒がしかった。ざっと数千人はいそうだ。はるか遠くに見える壇上では、黒縁メガネの政治家らしき男がダミ声で演説している。
「いまこの部屋には、昭和35年10月12日の日比谷公会堂を再現しておる。まもなく行われる衆議院選挙へ向けた三党党首による演説会じゃ。この日、憲政史上重大な事件が起こった。何かわかるか?」
誰も答えない。秀才のマサルにもわからないようだった。それにしても野次がやかましくて、壇上の党首が何を言っているのか聞き取れない。この時代の日本人というのは、かくも野蛮だったのか。
「あっ!」
最初に異変に気づいたのはヨースケだった。学生服姿の若い男が、壇上の政治家に体当たりしたのだ。
「俺見たよ、あいつ、刃物を持ってた!」
ヨースケが興奮気味に話す。すぐに他の男たちが壇上に駆け上がり、学生服の男はもみくちゃになって取り押さえられる。会場は騒然となり、女性が悲鳴をあげている。
「しまった…」
その声に気づいて振り返ると、ちょび髭を蓄えた政治家らしき男が、呆然と壇上を見上げていた。
*
演説会に詰めかけていた人々が退出した会場に僕らは残り、ちょび髭の男性を囲んで話を聞いていた。ひどく落ち込んでいる様子だったが、水戸黄門の印籠を見せるといつものごとく〈語り〉モードに入ったのだった。
「この御仁はな、民主社会党の初代委員長・西尾末広氏じゃ。西尾氏、この子たちに、民社党を作った理由なんぞを聴かせてやってくれんかのう」
「ははっ! ご老公の仰せとあらば。私は五年前に結党された日本社会党に参加しておりましたが、党が容共主義者に乗っ取られてしまったために、本年、分離独立して民主社会党を結党し、この度、初の総選挙に臨まんとしておるのです」
「容共主義者って何ですか?」
ヨースケがすかさず質問する。
「要するに、共産主義のシンパですな。こともあろうに、党内左派には日本共産党と選挙協力しようという者たちまで現れました。われわれにとって共産党は不倶戴天の敵。彼奴らと組むなんぞということは自己否定に他なりません!」
僕は先ほどから引っかかっていたことを訊いてみることにした。
「先ほど、壇上の弁士が暴漢に襲われた際、西村さんは『しまった』と仰ったように思いましたが、あれはどういう意味ですか?」
「ははあ、聴かれてしまいましたか。実は、刺されたのは日本社会党委員長の浅沼稲次郎という男です。たもとを分かったとはいえ、かつての同志であります。あれが致命傷であることは、すぐにわかりました。それだけではない。この事件で、わが民社党は選挙に不利になるでありましょう」
「なぜですか?」
「社会党に同情票が集まるのは必至だからです。いわば社会党は弔い合戦という大義名分を得てしまった。日本人の国民性を考えれば、これは避けがたい。せっかく心ある人々の期待を背負って民社党が船出せんというときに、このような悲劇が起こるとは…」
「西村さん、僕らの時代には共産党は禁止されているのでよくわからないのですが、なぜ日本社会党は共産党と組もうとしたのですか?」
「社会党は貧しい労働者の党です。それに引き換え、共産党には豊富な資金がある。そこに惹かれた者たちがおる。実に情けないことですが、政治には金がかかるのです」
「なぜ共産党に豊富な資金があったのでしょう?」
「確かなことはわからんが、ソビエトから金が出ておる。ソ連共産党の工作資金です。まあその点は、自民党も米国から援助を受けておるし、われわれも結党にあたって多少の支援は得られた。米ソ両国が、この日本を舞台に駆け引きをやっているという次第ですよ。しかし何としても、日本を共産主義陣営に明け渡すわけにはいかん。社会主義者の中には、社会主義を共産主義への発展段階と捉える者もいるが、われわれはそうは考えない。共産主義などというものは全体主義だ。あくまで自由は守らねばならん。貧者を救い、労働者の権利を守り、かつ自由と民主主義を実現するのがわが党だ。日本にはそういう中道政党が必要なのです」
僕らは政治家の迫力に気圧されていた。
「中道政党って何ですか?」
勇気を振り絞るように、ヨースケが質問する。
「今年の安保条約改定が好例です。いずれ完全自立を目指すにしても、いまの国際情勢で日米安保は必須。しかも今回の改定で、日米両国はより対等な関係に近づくことになる。しかし社会党や共産党は議会でのまともな議論すら封じ、院外団を動員して混乱を巻き起こすばかり。自民党と社会党は二大政党といわれながら、まさに水と油で、まともな議論ができません。われわれは国益を尊重しつつ、国民生活を守る第三勢力を構築し、やがては政権交代可能な保守二大政党の一翼たらんとしているわけです。われわれのような穏健野党は欧州でも勢力を伸ばしている。それらが中道政党と呼ばれておるのです」
*
「この事件の5年前、昭和30年は西暦でいうと1955年じゃ。この年に自民党が結党され、それより早くできていた日本社会党と二大政党として覇を争う〈55年体制〉が長らく続いた。しかし社会党は万年野党に甘んじ、事実上の自民党一党支配だったのじゃ。そこに風穴を開けようとした最初の政党が民社党じゃった」
僕らはARグラスを外し、水戸黄門の解説に聞き入っていた。
「でも、民社党なんて政党聞いたことないよ。あの後の選挙に負けて消えてしまったの?」
「マイよ、決してそんなことはない。民社党は少数じゃったが、平成5年には非自民連立政権で与党入りを果たしておる。しかしその後の政界再編の波に揉まれ、その名は消えてしまった。その後継者たちはやがて民主党に合流し、再び政権入りした。民主党には旧社会党の議員もおったことから、さらに分裂することになるがの」
「なんか、ずっと同じようなことを繰り返していたのが戦後100年なんだね」
僕の言葉に、水戸黄門が大きく頷く。
「ムネキヨの言うとおりじゃ。結局は、国家が独立しておらねば、民主主義もまともに機能せぬ。米ソ冷戦、米中冷戦の狭間に揉まれ、ふらふらしておったのが戦後100年じゃった。政党は右も左も金権政治、既得権益擁護を続け、どちらも無責任だったのじゃ」
*
翌日、僕は一人武道場で瞑想しながら、浅沼委員長を刺した青年のことを考えていた。テロリストの名は、山口二矢、当時17歳。激烈な民族主義者で、浅沼を売国奴とみなしての凶行だった。山口二矢は事件後、鑑別所で自決を遂げる。
「お、今日もせいがでるね!」
瞑想中にマイの大きな声で驚かされる。
「…びっくりした。今日はなんだよ」
「なんだよってなによ。私も一応部員なんですけど」
「じゃあ、一緒に素振りでもするか?」
「やだ。汗かくもん」
「…からかいに来たなら帰れ」
「キミに興味あるから来たんだよ」
「え?」
「ひっかかった! 先月のお返しよ」
マイは陽気に笑いながら武道場を出て行くのだった。
(続く)
本山貴春(もとやま・たかはる)戦略PRプランナー。独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡憂国忌世話人団体・福岡黎明社事務局長。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。