水戸黄門時空漫遊記(参)東日本大震災の英雄

3月になったというのに、一向に暖かくならない。僕はもともと寒がりな体質で、風邪をひきやすかった。発熱と咳が止まらず学校を休んで、もう一週間になる。原因は季節性インフルエンザだ。とにかくダルい。動画によるオンデマンド学習も可能なのだが、何も頭に入ってこないので諦めて横になっている。

『ムネキヨさま、お加減はいかがですか?』

天井付近に備え付けられたスピーカーから女性の声が響く。

「まだ身体の節々が痛いよ」

『現在のムネキヨさまの体温は36度です。ほぼ平熱に戻りましたね。キッチンにお食事を用意しましたので、しっかり栄養をとって休んでください。先ほど学校から一斉通知があり、10日間の休校が決まりました。これ以上のインフルエンザ感染拡大を予防するための措置とのことです』

どうやら、僕以外にもインフルエンザに罹った生徒がいたらしい。平野中は政府高官の子弟が多いらしいので、より過敏に対処しているのかも知れない。あまり食欲はないのだが、ホームAI「カグラ」の準備してくれた食事を摂るべく、重い身体を引きずりながらキッチンへ向かった。赤いランプが点滅している3Dフードプリンターの扉を開けると、鶏天の乗ったうどんが湯気を立てている。ここのところ、お粥やうどんなどの消化の良い食事ばかりで味気ない。

「カグラ、水戸黄門の続きを流して」

『はい、かしこまりました』

僕は時代劇が好きで、映画や大河ドラマはよく観ていたのだが、歴史の授業で水戸黄門の人格AIに出会ってから、元ネタになった昭和のテレビシリーズを観はじめた。ストーリーがワンパターンで大して面白くもないのだが、暇つぶしには丁度良かった。引退した殿様が部下を引き連れて商人に偽装し、旅先で悪事を見つけて懲らしめる。山場は、悪人をある程度叩きのめして部下がおもむろに「印籠」を取り出すシーンだ。

『静まれ! 静まれ! この紋所が目に入らぬか! こちらにおわすお方をどなたと心得る。畏れ多くもさきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ。一同! ご老公の御前である。頭が高い! 控えおろう!』

お決まりの台詞を叫ぶと、悪人たち(大抵は不正に手を染めた役人などである)がなぜか一斉に平伏する。

「ねえ、カグラ」

『はい、なんでしょう?』

「印籠って、何?」

『印籠とは、薬などを入れて携行するための容器です。当初は判子と呼ばれる印章を入れていたことから印籠と呼ばれるようになり、江戸時代に武士や商人の間で装身具として流行しました。一時期は地位や権力を示すものとして認知されたこともあるようです』

うーん。よくわからない。どうして携帯用の薬入れが悪人を平伏させる効果を持つのだろうか。いくら引退した殿様だと証明したところで、悪人が人数を頼みに制圧して闇に葬ったら一巻の終わりではないか。あるいは江戸時代の人は、それほど権威に弱かったということか。そんな取り止めのないことをぼんやり考えていると、カグラが口を挟んできた。

『ムネキヨさま、キタノ・マイさまからビデオチャットの申請が来ました。いますぐお繋ぎしますか?』

「えっ?」

クラスメイトの、それも女子からビデオチャットが来るなんて初めてだ。

「わかった。繋いで」

リビングの壁に投影されている映像が、水戸黄門からマイに切り替わる。

『あ、繋がった! ムネキヨくん、具合どう?』

   *

「すごいな。一面瓦礫しかないや」

圧巻の悲劇的光景を目の当たりにして、班員一同が声を失う中、ヨースケが独りごちた。四角い枠に嵌った映像で見るのと、360度見渡せるVR空間でそれを見るのとでは、ここまで印象が違うものなのか。僕らは、平成23年5月の、宮城県にある漁師町を訪れていた。この年の3月11日、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生し、最大40mもの巨大津波が東北地方沿岸を襲ったのだ。

「おめえさんたつ、ボランティアさんけ?」

くたびれた作業服に、黒い長靴を履いた老人が僕らに話しかけてきた。

「あ、はい。連休を利用して、東京から来ました」

とっさにマサルが対応する。今回、僕らはボランティアの大学生に偽装して、歴史VRに入っている。

「まんず、遠いところあんりがとなあ」

その老人は思いのほか饒舌だった。長々と、津波が来たときの恐怖や、避難所暮らしの苦労を問わず語りに語った。しかしあまりに訛りがひどく、半分以上は何を言っているのかわからなかった。それでも心を抉られたのは、「黒い壁」という言葉だった。

「でっけえ揺れのあど、しんばらくして海の方さ見だら、大きな黒い壁みだいなのさ迫ってきた。おら、あわでで家さ飛び込んで、家族を車に乗せたんだ。みんなは乗られなかっただで、息子に運転ささせでよ、おらは車の後ろにしがみついて逃げただ。おらも津波さ見たのは初めでだっだでよ、あれは波どいうより黒い壁だっだべ」

「おじさん、私たち、小学五年生のジュウモンジ・ワタルくんって子を探してるんです。津波に襲われた小学校の…」

老人の隙をついてマイが訪ねる。それでやっと、僕は本来の目的を思い出した。

「ああ、ワタルか。ほれ、あの丘の上の中学校が避難所になってる。多分あそこに行けばわかっぺ」

   *

少年は母親に寄り添われてマイに対面したまま、ただ俯いていた。

「ごめんなさいねえ。せっかく来てもらったのに。この子、地震以来ずっとこの調子なのよ。私たちも何があったのか、まだちゃんと聞けてないの」

ワタル少年は、おそらく心的外傷後ストレス障害(PTSD)の状態にあった。しかし歴史VRに入る前に知らされた情報によれば、彼こそが歴史を変える英雄の筈だった。

「どれどれ、どうやら儂の出番のようじゃの」

「あ、ご老公。今日は出てこないと思ったら、そんなところにいたんですか」

なんと、水戸黄門は作務衣をまとって被災者に紛れ込んでいたのだ。

「お主らの目は節穴じゃのお。儂はずっとここにおったわい。ほれ、ムネキヨ、あれを出さんかい。あれを」

暫く座を沈黙が支配する。

「あ、印籠ですね。はいはい」

「うおっほん! お主、わざとらしいぞい。さっさとせぬか」

「あー。うん。この印籠が目に入らぬか。こちらにおわすお方をどなたと心得る。えーっと。さきの副将軍…」

「なんだなんだ、余興か? 兄ちゃんたち、演劇部か何かかい?」

控えめに恥ずかしい台詞を棒読みしただけなのだが、周りの被災者たちがわらわらと集まってきた。すると、今まで下を向いて黙り込んでいたワタル少年が顔を上げ、はっきりと話し出したのだ。

「僕は、救えなかったんです。下級生たちも、先生たちも」

   *

ワタル少年が語るところによれば、彼は小学校の授業をサボって、学校の裏山にある神社から海を眺めていた。彼は離婚した母親に連れられて、東京からこの漁師町に移り住んだばかりで、時々教室を抜け出す彼を担任教師は黙認していた。彼に友達はなかなかできなかったが、海の見えるこの街が好きだったのだという。

「僕のいた場所からは津波が見えて、街がどんどん呑み込まれるのがわかったんだ。気づいたら、学校のみんなは校庭に集まっていて、でも、そこからは海が見えなくて、僕は叫んで呼んだんだけど…」

「私たち、ワタルくんのおかげで助かったんです」

振り返ると、小学校高学年くらいの女の子がそこにいて、大人たちの視線がそちらに移った。

「ワタルくんが危ないって知らせてくれて、私たち走って裏山に登りました。でも低学年の子たちと、先生たち全員が間に合わなかったの」

「僕が…もっと早く気づいて、みんなを呼んでいれば…」

そう言ってワタル少年は肩を震わせ、嗚咽を漏らした。

その後の話を総合すると、もともとその小学校は津波に際しての避難場所に指定されていた。そこには津波は来ない、と想定されていたのだ。だから教師たちは校庭にいれば安全だと判断した。さらに、校庭からは雑木林が邪魔をして海のある方向を見通すことができず、津波の接近に気づかなかった。

「ワタルくんがそこにいなかったら、みんなを呼ばなかったら、もっと犠牲が増えていたんだね」

彼の心の傷を、こんな陳腐な台詞で癒せるとは思わなかったが、僕はそんなことしか言えなかった。

「それだけじゃないんです。ワタルくんがいなければ、私たち、飢え死にしてたかも知れないの」

「サヤちゃん、そのことは…」

ワタル少年の母親が女の子を制止しようとした。

「お母さん、いいんだ。あれは、あいつが悪いんだから」

   *

そのあと聞いた話に、僕らはさらなる衝撃を受けた。小学校の裏山で寒さと空腹に耐えながら一晩を過ごした小学生たちは、翌朝になって瓦礫を乗り越え、一キロほど離れた丘の上の中学校にたどり着いた。そこはすでに避難民で溢れかえっていた。災害用備蓄は乏しく、2日と保たなかった。地震発生から4日目になって、ようやく自衛隊によってパンやおにぎりなどの食料が届けられたという。

「でも、食料は配られなかったんです」

「え、どうして?」

「全員分には、数が足りないからって」

避難所となった中学校の体育館を取り仕切ったのは、地元の公務員だった。食料はその公務員が窓口となって受け取ったのだが、一人一個ずつ配ると、どうしても一割ほど不足したのだという。

「僕は夜中になってこっそり忍び込んで、食べ物を盗んだんです」

ワタル少年は盗んだ食料を一緒に逃げてきた同級生たちに分け与えた。この行動がきっかけとなり、山積みされた食料は子供と怪我人を優先して配られることになった。その他の大人たちは、残りを一口ずつ分け合ったのだという。非常時にあって、一公務員の杓子定規な判断は、一人の小学生によって覆されたのだった。

「ご老公」

「ん? なんじゃ?」

「この印籠って、そういう悪い役人の前で出すもんじゃないんですか?」

「ぐぬぬ。お主、なかなかやるのう」
 
水戸黄門の口惜しそうな様子がおかしかったのか、避難所にどっと笑いが起きた。

   *

「疲れた…」

VRゴーグルを外すやいなや、僕はベッドに身体を投げ出した。病み上がりというか、まだ全快していないのに歴史VRの授業を受けさせられたのだ。自宅にいながらにして授業を受けられるのは先進技術の賜物だが、あまり便利なのも考えものである。

『ムネキヨさま、お疲れのところ申し訳ありませんが、キタノ・マイさまからビデオチャットの申請です。お繋ぎしますか?』

「えー。今度はなんだよ…。まあいいや。繋いで」

今回の歴史VRも本当は休んでよかったのだが、マイに強引に誘われて断れなかったのだ。今度は何を言い出すのか。

『ムっくん! 今日はお疲れ様! その後、体調は大丈夫?』

「なんだよ、その呼びにくそうな渾名! 神経使ってクタクタなんだから、もう勘弁してよ」

『ん、良くない? ムっくんって。それよりさあ、ジュウモンジ・ワタルって、なんか聞いたことない?』

ジュウモンジ…。アニメに出てきそうな名字だが、はて…。

『いまの国防大臣だよ。元自衛官で、国会議員の』

僕とマイのビデオチャットに、優等生のマサルが割り込んできた。

『すっごーい! さすがマサルくん!』

マイが黄色い声を上げる。なんかムカつく。

「へえ。あの小学生が、自衛官になって、さらに政治家になったのか。震災の時は今の僕らとそんなに歳も違わないのに、凄かったよね」

口惜しさを誤魔化して、感想を言ってみる。

『そうだね。あんなことできないよねー』

『噂によると、彼が例のクーデターのキーマンらしいよ。こないだやったVR授業でも、警備部隊にいたんだってさ』

未曾有の大災害が少年を変えたのか、もともとそういう素質を持っていたのかはわからない。それでも僕には、とても無関係とは思えなかった。

(続く)




本山貴春(もとやま・たかはる)戦略PRプランナー。独立社PR,LLC代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会事務局長。福岡憂国忌世話人団体・福岡黎明社事務局長。大手CATV、NPO、ITベンチャーなどを経て起業。

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