転換点に立つ我ら ― コロナウイルスが突きつけるもの/金子宗徳

時局を鑑みて、月刊『国体文化』5月号に掲載予定の『転換点に立つ我ら ― コロナウイルスが突きつけるもの』から後半部分を先行無料公開する(原文は歴史的仮名遣い)。

社会の在り方を根本から問い直す契機

NHKによれば、天皇陛下が、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の尾身茂副座長から御進講を受けられた折、「このたびの感染症の拡大は人類にとって大きな試練であり、わが国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々がさまざまな困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」と御発言されたという。

「現在の難しい状況を乗り越えていく」とは如何なることか。我々は、よくよく考えなければならぬ。現代文明の科学力を以てすれば、早かれ遅かれワクチンが開発されるであろう。そうなれば、モノ・カネ・ヒトの移動手段である通信・交通システムが破壊されたわけではないため、その具体的様相は変われど、何事もなかったかのやうにグローバルな経済活動は再び活発になるだろう。それを見込んでか、政府は大企業に対して日本政策投資銀行を通じて行ふ構えだ。安倍内閣としては、今後ともグローバルな経済活動を支援していきたいのだろうが、無利子とはいえ融資しか受けられない中小企業と比べると、不公平と云わざるを得ない。

筆者には、冒頭に掲げた『立正安国論』における客人の嘆きと昨今の世相が重なって見える。水害や震災などの天変・地夭、そして今回の疫癘。現在の我が国では飢饉こそ起こっていないけれども、買占めによりマスクやトイレットペーパーなど必要な生活物資が買えない。さらに、一部の国は農産物の輸出規制を始める動きも見せており、今後、食糧不足が表面化する可能性もある。

この問いに対し、日蓮は「倩(つらつら)微管を傾け聊(いささか)経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」と答え、種々の経典を引きながら「立正安国」の精神を説いた。

災害や疫病などを天からの警告として受け取り、社会全体を善化する契機とすべきといふ日蓮に倣って、我らもまた、眼前のウイルス禍を乗り切るのみならず、感染終熄後を見据えて社会の在り方を根本から問い直すことが求められている。

グローバル・リベラリズムの急所を突いたウイルス

あらゆる生命体は、生命の存続と発展とを至上の目的とする。生命体としての人類が地球上で繁栄しているのは、その高い共同体形成能力ゆえだ。

具体的には、小家族から大家族、さらには氏族から部族、民族へと血縁に基づく共同体は拡大した。そのような動きの動因となったのは、経済活動の必要性である。さらに、民族共同体を基盤として法や政治によって統制される国民国家が確立した。もちろん、生命の存続と発展に際限はない。それゆえ、有力な国民国家は「帝国」を形成し、そうした「帝国」どうしが二度に亘って世界大戦を繰り広げた。

第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義圏とソ連を中心とする社会主義圏とが「冷戦」を展開する。この第三次世界大戦とも称すべき両者の対立は五十年あまりに及んだが、市場における欲望の自由な発露を認めた前者が生産力において後者を崩壊に追い込んだ。それにより、資本主義圏が全世界に拡大し、経済のグローバル化が進んだ。

それに伴い、我が国を含む先進国の社会は大きく変容した。

第一に、市場における交換価値がグローバルな判断基準とされ、ヒトは「情報を享受し、カネを稼ぎ、モノを消費する存在」へと矮小化される。

第二に、それ以外の側面については個人の自由に任すべきとされ、日常生活に内面的規律を与える民族的伝統や宗教的信仰に基づく真善美に関する常識・慣習が力を失う。

第三に、全てが経済的価値に還元され、真善美を巡る「大きな物語」が消滅した結果、人々は安逸な日常生活を過ごすこととなる。

そうした社会で育まれてきた思想、三島由紀夫の言葉を借りるなら、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない」社会を是とする思想を、私は「グローバル・リベラリズム」と称してきた。それは民族共同体としての「国体」の敵であり、超克されるべき対象であると本誌でも何度か指摘してきたが、その術を見出すことができなかった。

だが、コロナ禍によって「安逸な日常生活」を送ることが困難となり、ひいては「グローバル・リベラリズム」じたいが揺らぎつつある。ウイルスが他者との接触によって媒介される以上、他者が自己にとっての脅威となるからだ。

各個人にとって他者とは、共同体を形成するために不可欠な潜在的同盟者である一方で、害悪を及ぼしかねない潜在的敵対者である。そのような他者との向き合い方、すなはち「倫理」は、もともと民族的伝統や宗教的信仰と強く結びついていた。

例えば、日本においては、農耕共同体において他者の目を意識する「恥の意識」、そこから発展した神道の「清明心」、さらには大乗仏教の説く「利他行の精神」が行動軌範としてされてきた。しかし、都市化によって農村共同体が解体し、世俗化によって神道や大乗仏教の社会的影響力が薄れた結果、マナーや善意といつた次元で語られることが一般的となった。

けれども、それらは表層的であるため、決して強固なものではない。今回のコロナ禍においても、買占めが横行したり、公共交通機関において咳を巡るトラブルが起こったりなど、民情は険悪になってゐる。

こうした情況において、緊急事態宣言を発した政府や自治体は、繁華街に警察官を巡回させるなど「自粛の徹底」という名の統制を強めている。

先に触れた「グローバル・リベラリズム」の成立経緯からして、「リベラリズム」は上部構造に過ぎず、下部構造たる「グローバルな経済活動」の派生物に過ぎぬ。それゆえ、「グローバルな経済活動」を差配する側は、非常事態において限界が露はになつた「リベラリズム」を切り捨て、「トータリタリアニズム(全体主義)」的手法を採ることを辞さないということだろう。

従って、一部の人間が「自粛」ムードに対する抵抗と称して積極的に外出したところで、「グローバル・リベラリズム」という茶番劇を再演しようとすることにしかならない。「八紘一宇」の実現を目指す我らは、「グローバルな経済活動」の存在を認めた上で、「グローバル・リベラリズム」でもなく「グローバル・トータリタリアニズム」でもない、第三の道を見出さねばならぬ。

「生命至上主義」を超える

我らが自然人である以上、どれだけ予防に力を尽くしたところで、「死」を迎える可能性は否定できぬ。

今回のコロナ禍に関連して、保守を標榜する立場から、「死」を過剰に恐れる現代日本人の「生命至上主義」に対する批判が見られる。

曰く「言葉の平板化」、曰く「閉じた個人」。そうした現代日本人の卑しさに対する怒りは分からぬではないが、結局のところ「生命至上主義」を克服し得ていないように思われる。

そもそも、我らの「生」というものは、両親の性的な交渉の結果として精神と肉体とを有する個体として生まれた自然人により社会の中で営まれる一時的な「現象」であり、その終わりが「死」である。

けれども、多くの人々は、その「現象」こそが「実体」であると誤認し、それに執着する。その最たるものが自己を絶対化する「生命至上主義」であるが、他者もまた「現象」に過ぎぬ以上、他者との関係性すなわち「人間」という枠内で考へる限り、執着からは逃れられない。

だからこそ、我らは「死」ひいては「生」という「現象」を貫く理法、「人間」を超越する存在を意識することが必要だ。そして、その次元からの自己の「生」と向き合い、同様の「生」を営む他者と共存共栄するための実践が求められる。そうした決意を固め、行動に移すことなくして、コロナ禍の克服は不可能であろう。

(全文は『国体文化』5月号にてお読み下さい。)

金子宗德(かねこ・むねのり)/月刊「国体文化」編集長、里見日本文化学研究所所長、亜細亜大学非常勤講師。

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