金子宗徳「皇位継承問題に対する弊学会の立場」

明けましておめでたうございます。令和の御代が始まつて初めての新年を迎へました。

天皇陛下におかせられては即位礼正殿の儀および大嘗祭を無事に終へられ、来たる四月には文仁親王殿下が立皇嗣の礼に臨まれます。

今後、安定的な皇位継承を実現する方策を巡つて様々な議論が進められていくことでせう。そこで、日本国体学会としての立場を以下に示します。

聖断を仰ぐに相応しい環境づくりの必要性

現在の皇室典範によれば、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」〔第一条〕とあるが、現時点において皇位継承資格を有する方は僅か三名、今上陛下に続く世代では悠仁親王殿下しか居られない。

安定的な皇位継承を実現するためには皇位継承有資格者を増やすしかないが、そのためには、①(明治皇室典範制定以前は皇位継承資格を有してゐた)生まれながらの皇族女子に再び資格を認める、②(昭和二十二年十月に皇籍離脱を余儀なくされた)伏見宮系旧皇族末裔の男子に再び皇籍を付与する、といふ二つの選択肢が存在する。

現行の法制下においては、皇室典範は憲法の下位法とされてをり、立法機関たる国会において皇室典範の改正案が可決されたならば①は実現する。一方、②を実現するためには典範の改正に依らず特例法を制定すればよい。

立法府たる国会は、退位特例法の採決に際して「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方の御事情等を踏まへ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」との付帯決議を採択してゐる。

先述の付帯決議に基づき、行政府の長たる安倍首相は①ないし②のいづれかで意見集約を図る責務を負つてゐる。各種世論調査の結果を見る限り②より①に賛意を示す者の方が多いと思はれるが、②を選択すべしといふ支持者の意向を忖度して①に否定的な姿勢を取る一方、世論の動向を意識してか①を排除して②を選ぶといふ政治的決断をするまでには至つてゐない。これは問題解決を先延ばしにすることであり、「不作為の罪」といふべきだ。

本来であれば、この問題を解決するにあたつては天皇陛下の聖断を仰ぐべきである。少なくとも、行政府の長に過ぎぬ首相の個人的判断で解決が滞るやうなことがあつてはならない。だが、現行の法体系下では、陛下の聖慮を直接的に反映させることは不可能だ。けれども、上皇陛下が御譲位の思召しを明らかにされたことを契機として立法府や行政府の取組みが進められたやうに、何らかの形で天皇陛下の思召しが示され、その御意思を大多数の国民が支持し奉るならば、多少の軋轢があつたとしても立法府および行政府は何らかの対応を行ひ、事態は進展するであらう。

それゆゑ、①および②の利害得失を整理して国民に示すことで、立法府や行政府における闊達な議論を促進し、聖断を仰ぐに相応しい環境を整備することが必要であり、弊学会としても積極的な学問的検討を行ひたい。

学問的検討の本位

学問的検討を行ふに際して重要な点は、その本位を定めることである。これの定まらぬ検討は散漫なものとなつてしまふ。弊学会において本位と為すべきは創設者である里見岸雄博士の学説であり、深めるべき点を深め、補ふべき点を補ひ、その成果を江湖に問ふことに尽きる。

博士は、『萬世一系の天皇』〔錦正社・昭和三十六年十一月〕において、「皇室を日本民族の血縁中枢として観念する君民の結合は、時代社会のもろもろの力の関係を避けえない歴史的必然としつつも、尚、国家の窮極性を、人間の本義たる相愛情誼の生命体系として維持し、つひに必ず国家を最高の意義に於て完成する生命的主体を確保してゐることにほかならぬ」(二七五~二七六頁)と述べてゐるが、この問題を検討するにおいても、この視点を踏襲せねばならぬ。

また、『萬世一系の天皇』において、里見博士は「古代は末子継承が法則であつたかの如くであるが、後、嫡庶長幼の序列が大則となつた。然しながらその間、時の実際的理由並びに事由により、もとより変則変態の事がないではなかつた。兄弟相承け、然も弟先づ即位し、兄後に承継した場合もあり、女帝の登極もあり、重祚の如き異例もある。然しその変則変態のすべての場合を通じ一例と雖も神勅に所謂『吾子孫可王』の大則の破れた事はない」(一四一頁)と述べてゐる。このことから、直系継承こそが正格であり、兄弟継承を始めとする傍系継承や女帝の即位は変格であるが、さうした正格・変格を問はず天照大神以来の皇統が保たれてきたといふ博士の理解が窺へる。だからこそ、博士は、「大日本国皇室典範案」〔昭和三十七年九月〕において、男系男子による継承を優先しながらも、皇族に男子が不在の場合は女子が皇位を継承すること、即ち女帝の即位を想定している。

確かに、博士は『国体法の研究』〔錦正社・昭和十三年三月〕において、「我国は、他の国に見るが如き女系主義を断乎排撃して、三千年一貫、男系主義を厳持し来れる」、「百数十代の原則は、云ふまでもなく、男系の男子の継承を本義としてゐる」と記してゐるが、敗戦後に執筆した『国体軌範論』において、「敗戦の結果はわれわれに一つの反省を与へるに至つた。男系主義男子主義は、必ずしも厳密にこれを執持すべきでない」、「憲法上に男女同権が明規せられるに到った以上、万一の場合にも遺憾なき法制を確立することが望ましい」〔『国体文化』(平成二十六年六月号)〕と自説を修正する要を認め、先述の「大日本国皇室典範案」においても同様の立場を堅持してゐることからして、男系男子主義を固守すべきと考へてゐないことは明らかである。一方、「国情の上から真にやむを得ざる措置」として「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコト」も容認してゐる。

これらの記述を鑑みるならば、里見博士は、男系男子主義の限界を認めて①を肯定した上で、それでもなほ事態が打開できぬ場合の最終手段として②を採ることも在り得ると考へてゐたと解することができ、この理解を以て弊学会における検討の本位と定めたい。

女性天皇の配偶者に関する論点整理

以上の本位に基づいて、いくつかの論点について検討を重ねる必要があらうが、最も重要な論点は女性天皇の配偶者についてである。

①を不可とし、②を可とする論の要点は、神武天皇から続いてきた男系による皇位継承といふ原則に反するといふものだ。確かに、これまで皇位は皇室といふ男系の一族に属する自然人によつて継承されてきた。かうした男系の一族を「ウジ」と云ふが、古代の日本社会は男系のみならず女系も機能する双系的な社会であつたといふのが学界の通説であり、皇室においても女系を皇統として認めなければ成立せぬ事例も存在する。さらに云へば、制度としての「ウジ」は明治初頭に廃され、社会的慣習としても機能してゐない。今日も我々は「氏(うじ)」を称してゐるが、これは古来の「ウジ」ではなく、旧来は「苗字」と呼ばれた「イヘ」の名であり、区別されるべきものだ。さらに、夫婦同氏といふ制度を維持しながらも、結婚前の「氏」を公文書に併記するなど「イヘ」に関する国民の意識も変化しつゝある。さうした「時代社会」の動向を無視して、皇室に限つて「ウジ」の意識を貫くべきとの認識に基づいて②を選択することが現実的であるか、そこのところが問はれねばならない。

もちろん、①を選択した上で、皇族女子が伏見宮系旧皇族末裔の男子と御婚姻することも考へられよう。これにより①か②かといふ政治的対立は回避されるが、これは当事者の自由意思に任せるべき問題である。もし、男系継承の維持を理由として御婚姻を強ひるやうなことがあれば、「人間の本義たる相愛情誼の生命体系」に基づく君民の結合は保たれなくなるに違ひない。

幸ひなことに、皇族男子が臣籍に降下したり皇族女子が降嫁したりすることによつて皇胤(天皇の血筋)が国民に拡散し、国民女子が皇后や皇族の妃として入輿することによつて皇統(天皇の血統)へと還元されてきた結果、日本民族は血縁において君民一体である。かうした事実を踏まへた上で、国民男子が女帝や皇族女子に入婿する「要件」が問はれねばならぬ。日本国憲法において「法の下の平等」が定められてゐる以上、実定法において「要件」を定めることは出来ない。しかし、その運用、ひいては前提となる社会的慣習の次元で「要件」を実質的に定めることは必要だ。

この点に関連して考慮すべきは、眞子内親王殿下の婚姻を巡る問題である。殿下におかれては婚約から二年あまりが経過してゐるにもかかはらず、婚約者側の事情により結婚の見通しが立つてゐない。これに関する第一義的な責任は婚約者側にあるけれども、かうした事態を惹起した背景には皇族女子の婚姻を純然たる私事と見なす発想がある。また、①を不可とする主張の中には、外国人男性との婚姻を危惧するものも少なくない。これは皇族男子と外国人女性との婚姻についても同様であるが、君民一体の生命体系が崩されることに対する本能的危機感の表れとも云へ、陋劣な排外主義的発想の表れと安易に否定して良いものではない。かうした配偶者に関はる不測の事態を排除するためにも、女帝や皇族女子の婚姻に際しても皇族男子と同様に皇室会議の議を経るやう皇室典範を改正することが必要だ。

「生命」に対する我々の自覚が問はれてゐる

以上、皇位継承に関する議論の現状を前提として、弊学会としての立場を示し、最も重要な女性天皇の配偶者に関する論点を整理したが、全ては、男女が婚姻して家族を形成し、そして、国家を始めとする共同体を形成するといふ営みを如何なるものと捉へるべきかといふことに帰結する。

先に触れた通り、里見博士は日本国憲法における「男女平等」の規定に着目してゐるが、それは「個我」としての人間を絶対とする近代個人主義を是とする発想からではない。太古から続く「生命」の活動からすれば、「個我」は遅かれ早かれ滅びゆく存在に過ぎず、肉体的あるいは精神的に男であるか女であるかなど些細なことであり、それを決定的な相違であると見なすことは不合理であると確信してゐるからだ。日本民族といふ「生命」の体系を護る上では、その中核たる天皇の地位が安定的に継承されることが何よりも重要であり、男女の別は本質的な問題ではない。

「生命」の表れである我ら一人一人は、精神と肉体とを有してゐる。

それゆゑ、男女が睦み合ひ、子が生まれる。そして、親子が家庭を営むことにより「生命」が継承される。さらに、家族以外の他者と共同体を形成することによつて、身の安全を保ち、さらには豊かで実りある人生を送ることで、「生命」の充実が図られる。その一方、精神および肉体は迷妄や懊悩の由来ともなり、時には自己を害ひ、時には自己以外の他者や共同体に仇なすこともある。

かうした善ともなり悪ともなり得る我ら一人一人が、「生命」の継承者として如何に生きてゆくべきか。そのやうな自覚との関はりにおいてこそ皇位継承を巡る問題は語られるべきであり、さうした思ひを共有する方々と会の内外を問はず連携していく所存である。

〔『国体文化』(令和2年1月号)〕

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