日本国憲法と「国体」 ― 佐々木惣一と和辻哲郎の論争 

里見日本文化学研究所所長 金子宗徳

 大日本帝国憲法に捧げる弔辞
昭和二十一年十月五日、大日本帝国憲法の改正案を審議する貴族院本会議の演壇に一人の男が立つた。彼の名は佐々木惣一、我が国を代表する憲法学者の一人である。

 私は帝国憲法改正案反対の意見を有する者であります。此の私の意見を我が貴族院の壇上に於て述べますことは、私に取つて実に言ひ難き苦痛であります。今日帝国憲法を改正することを考へること其のことは、私も政府と全く同じ考へでありまするが、唯、今回提案の如くに改正することは、私の賛成せざる所であります。

かく語り始めた佐々木は、十項目に及ぶ反対理由を挙げ、自らの信ずるところを訴へる。

一、そもそも、天皇が国家の統治権を総攬するといふ我が国の政治的基本性格を安易に変更すべきではない。
二、民意を反映するためには内閣など協力機関の徹底的改革を行へばよく、政治的基本性格の変更は必要ない。
三、非常事態において協力機関が機能せぬ場合にあつては、国家国民の利益のみを念ぜられる天皇の御聖断を仰がねばならぬが、そのことを改正案は考慮してゐない。
四、天皇が無答責とすることと天皇を政治的無能力者とすることは同じではない。
五、政治に限らず、あらゆる側面において、国家は天皇の尊厳を侵してはならぬが、それに関する規定が存在しない。
六、立法・行政・司法の三権が天皇に帰一することで生ずる心理的一体性が失はれてしまふ。
七、「デモクラチック」傾向の復活強化といふポツダム宣言の規定は社会生活における気構へに関するものであり、君主国から民主国への転換を国際的に約束したものではない。
八、政治的基本性格としての国体を変更することは精神的・倫理的方面より見たる国体の変更に繋がる虞がある。
九、平和や道義を追求するにあたつては、日本国家の個性を基礎とせねばならぬが、この点を改正案は軽視してゐる。
十、個別の条文には可とするものもあるが、全体としては賛成し難い。

さらに、こゝで誰かが反対意見を明らかにしておかないと、日本国民全員が帝国憲法改正案に賛成してゐるといふ誤つた解釈が世界に広まつてしまふ。将来における日本国家発展のため、自分は敢へて反対の意思を明らかにするとし、「上に聖天子あり、下に愛国先覚の国民あり、又事務的に政令の当局あり、斯くの如く上下一致して長年月の努力の結果、漸くにして成立しましたる所の帝国憲法が、其の発布以来今日に至る迄幾十年、是が如何に大いに我が国の国家の発展、我が社会の進歩に役立つたかは、茲に喋々する迄もありませぬ。其の憲法が今一朝にして匆々の間に消滅の運命に隠されて居るのであります。実に感慨無量であるのです」と述べる。まさに、大日本帝国憲法に捧げる弔辞とも評すべき名演説であつた。

 「国体は変更する」
明くる十月六日、帝国憲法改正案は貴族院を通過し、続いて七日には衆議院で可決。その後、枢密院における諮詢と昭和天皇の御裁可を経て十一月三日に公布され、昭和二十二年五月三日から日本国憲法が施行されることとなつた。

いつたい日本国憲法の施行により、「国体」は変はるのか変はらないのか。佐々木は、『世界文化』〔昭和二十一年十一月号〕に「国体は変更する」といふ一文を寄稿した。

「国体という言葉は国家の形というほどの意義である。然しながら、我が国の通用語として国体というときは、たゞ漠然と国家の形をいうのではなく、一定の概念を指示すのである」と述べる佐々木は、国体について「政治の様式という面から見て、如何なる国柄のものであるか」と「国家に於ける共同生活に於ける共同生活に浸透している精神的の観念という点から見て、如何なる国柄のものであるか」といふ二つの側面を区別した上で、前者を規定する憲法において万世一系の天皇が統治権の総攬者たる地位を失ひ、国民が主権者と定められた以上、前者の側面における「国体」は変はつたと云はざるを得ない。

なほ、この変更はポツダム宣言とは無関係であると佐々木は主張する。同宣言は「日本に、自由に表明された日本国人の意思に合致して、平和的傾向のある又責任ある政府が樹立される時は、直ちに、連合国の占領軍は日本国より撤収せられるべきである」と定めてゐるが、日本国人の原語は〈Japanese People〉であり、これは日本国を構成する人といふ意味であり、君主に対する国民という意味ではない。よつて、ポツダム宣言受諾によつて「国体」が変更されたわけではない。

そして、後者の側面についても変更は免れないと論ずる。

 政治の様式より見た国体が変更する、ということは、精神的観念より見た国体が変更する、ということではない。それは併し、両者が概念的に異なる、ということに過ぎない。(中略)我国では、精神的の面から見た国柄と、政治の面から見た国柄とは、決して無関係ではあり得ない。大なる影響を受け合うものである。影響を受けるというよりも、精神的の面より見た国柄たる事実の中に、政治の様式の面から見た国柄たる事実をも含んでいる。故に政治の様式よりみた国体が変更する、ということは、精神的観念より見た国体が変更する、ということではないけれども、社会生活の事実として見るときは、政治の様式より見た国体が変更すれば、精神的観念より見た国体も変更するであろう。直ぐにではなくとも、漸次変更するであろう。少くともかく考えて国家及び社会の将来の経綸を立てるべきである。

 和辻哲郎の疑義
これに対し、『風土』などの著作で知られる倫理学者の和辻哲郎が『世界』〔昭和二十二年一月号〕に「国体変更論について佐々木博士の教えを乞う」といふ一文を発表し、次のやうに述べる。

 わたくしはこれまで久しく「国体」という概念を理解し得ないでいるのである。従って日本倫理思想史の立場から尊皇思想の歴史的叙述を試みるに当たっても、でき得る限り国体という概念を用うるのを避けて来た。また倫理学において国家の問題を論述する際にも、国体の問題は国家一般の問題には属しないとの見地の下に、わざと取り上げなかった。だからわたくしは国体の概念に関し佐々木博士と異なった持説を持っているわけではなく、従って博士と討論しようというのではない。ただ理解し得ない点をのべて、何故「国体」というが如き概念が必要であるかを教えて頂きたいと思うのである。

その上で、和辻は「何人が国家統治権の総攬者であるか、という面より見た国柄は久しく『政体』という概念によって示されてきた。ギリシャの昔以来、それが一人の王であるか、少数の貴族であるか、あるいは市民の全体であるかによって、君主政体、貴族政体、民主政体などが区別されている」として、「これをわざわざ『国体』という概念によって現わし、そのために『政治の様式より見た国体』の概念と『精神的観念より見た国体』の概念とを区別しなくてはならなくなる、というようなことは、わたくしにははなはだ理解しがたい」と述べる。

また、かりに「国体」といふ語を用ゐるとしても、天皇が万世一系であるがゆゑに統治権を総攬するといふ「国体の概念に相当する事実」は「明治以後の事実であるのか、あるいは国初以来の歴史を通じての事実なのであるか」と問題提起する。

天皇は、「国家の意志の発動を全般的につかんでいるという地位」に久しくなかつた。徳川幕府は朝廷の意向に反してアメリカとの通商条約締結といふ国家意志を発動してゐる。

確かに征夷大将軍の地位は天皇から任命されたものであるが、将軍が統治権を有する慣例は江戸時代以前に成立してゐた。鎌倉幕府は荘園制に端を発する私国家の行政機関に過ぎず、日本国家の機関ではない。その後、足利時代になると、日本国家は小国に分裂し、……

……… ………
続きは月刊『国体文化』平成27年9月号をご覧ください。

(「国体文化」平成27年9月号2~9頁所収・全8頁)

本稿は四月十八日に開催された〈国体学講座・戦後の「国体論」を読む(1)〉の講義録に加筆したものです

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