近世神道家の国体観 垂加神道を中心に

第41回国体文化講演会 講演録
皇學館大学文学部神道学科教授 松本 丘

附 記 本稿は、第四十一回国体文化講演会の速記録(平成二十六年十二月五日、学士会館)を基に加筆頂いた。

 垂加神道とは

本日は「近世神道家の国体観」といふことでお話しさせて戴きます。江戸時代の神道家も多くありますが、副題の通り垂加神道に焦点を絞つて参りたいと存じます。

まづ、この垂加神道ですけれども、神道の歴史の中では、神道を説明する神道説、神道思想が幾つか表れて来ます。例へば鎌倉時代には伊勢神道があり、室町時代には吉田神道がある、さうした様々な神道説が生まれますが、要するに、それぞれの立場で神道とは何ぞやといふ所を説くわけです。そして垂加神道は、江戸時代の初め、山崎闇斎が創唱した神道説であります。

「垂加」と申しますのは、山崎闇斎の神道の号でして、これを採つてその神道説を垂加神道と称してをります。この言葉は、正直で清浄な心、真剣な祈りに対して神々はお恵みを下されるといふ、伊勢神道の書物に由来します。

簡単に申しますと、この垂加神道は、先ほどの鎌倉時代の伊勢神道、これは伊勢の神宮の外宮の神主さんによつて唱へられた神道説、その伊勢神道や、室町時代に京都の吉田家、朝廷のお祭りに関係の深い家ですが、その吉田家で唱へられた吉田神道、さうした江戸時代以前の神道説を集大成したのが垂加神道といふことにならうかと思ひます。

また、山崎闇斎は、朱子学者としても非常に有名な人物でありましたから、闇斎自身は神道と儒学とを混じてはならないと言つてゐますが、どうしてもその思想の根底には儒学的な考へ方があります。ですので、今の学問的な方面では、いはゆる儒家神道、神道と儒学とが習合した神道説と説明されてをりまして、かうした面が、後に出てくる本居宣長等の国学者、復古神道家から批判されるところになつていくわけですが、それは後のことでありまして、垂加神道は、江戸時代の前半、大体享保年間、八代将軍吉宗の時代辺りまで、非常に勢力を持つた神道説でありました。

垂加神道には、様々な特徴があるわけですが、一つは「土金の伝」といはれるものであります。これも漢土の思想になりますけれども、五行のうちの「土」と「金」のことでありまして、五行説では、土が固まつて金となるわけです。その土がギユッと締まつて金となるやうに、自分の心を、泥のやうなグニャグニャした状態ではなく、心の中に芯を立てると申しませうか、「金気」と称してゐますけど、その金の気でもつて心を引き締める、それが神道の修養法として古来からあるのだといふのが闇斎の考へ方であります。即ち「つつしみ」であります。そして「つつしみ」といふ言葉は、「土しまる」が約まつたものであると説いてあります。さらに、奇しくも朱子学で説く所の修養法であります「敬」、自分の心をいろいろなところに向かせず、一心不乱に正しい方向へ慎んでいく、集中していくことですが、この「敬」が神道の「つつしみ」に当たるのだとも主張されるのであります。要しまするに、儒学で説かれる修養法は古くから日本の神道の伝への中にあるのだといふ立場であります。

また「天人唯一」といふ言葉も垂加神道の特徴を示すものとしてよく引かれます。「天人合一」といふやうなことは、既に漢土の思想にもあるわけですが、闇斎は「合一」と言はずに「唯一」と称してゐます。天と人、別のものが対応関係にあるのではなく、天あるい神と人とはベッタリ一つであるといふことです。これもさまざまな意味を込めて使はれてをりますが、主な説明のされ方と致しましては、「天」とは即ち『日本書紀』に出てくる神々のことを指し、その神々と我々人間とは、そもそも一体のものであるといふわけです。そして『日本書紀』に説かれる、いはゆる神話には、荒唐無稽なこと、合理的に考へるとをかしなこともある、しかしそれは、天地自然の働きを人事でもつて説いたり、逆に人事でもつて天を説いてある、つまりは神々と人間とは、基本的に変はるところはないといふわけです。これは古典解釈を合理的にするための一つの方法ともなつてをります。

そして、人間は神々の示してゐる道に向かつて努力すべき存在、神々の姿に我々人間は少しでも近づいていくべきであると、修養の目標として神々があるといふことにもなります。また、神代と今の時代とは一つながりの世界で、断絶はないといふ意味でも「天人唯一」の語は使はれてをります。

垂加神道の根本的なテキストは、『日本書紀』と『中臣祓』です。『中臣祓』は、六月と十二月に行はれる「大祓」といふ行事がありますが、その時に読まれるものです。これを古くは中臣氏といふ氏族が読んでゐましたので、『中臣祓』と呼んでいました。この二つのテキスト解釈の根底にあるのが「天人唯一」の考へ方であります。

さうした「土金の伝」を始めとする垂加神道の教へは、秘伝としてまとめられてゐます。この秘伝は総計百数十もあるのですが、神道の学習の段階に応じて分けられてをります。基本的には『日本書紀』や『中臣祓』の記事に秘められた深い意味に段々迫つていくといふ構成になつてゐて、これが初重、二重、三重、四重の四段階になつてをります。その最後の四重、これを「極秘伝」と称してありますが、一番重要な秘伝でありまして、三種の神宝、即ち三種神器に関する秘伝と、「神籬磐境」の秘伝との二つであります。これも『日本書紀』に関係するものでありますが、神道の学問がある程度の段階に達しないと、この二つの秘伝は授けられません。逆にいへば、この秘伝を授けられた者は神道の最奥秘まで許された人物といふことになるわけです。

かうした秘伝の伝授は、垂加神道が吉田神道から引き継いだものでありまして、神代の天児屋命といふ祭祀を司つた神から代々受け継がれてた秘伝といふ位置付けになつてをります。

さて、本題となります垂加神道の国体観は、主にこの「三種神宝」と「神籬磐境」の秘伝の内容によく表れてをりますが、ここに垂加神道の垂加神道たる所以があるといつてよいでせう。それではまづ、垂加神道では皇室・天皇がどのやうに説かれてゐるのかといふ所を見ておきたいと思ひます。

………
(続く見出しのみ公開・全18頁)
垂加神道の天皇観
「君臣合体守中之道」
三種神宝の伝
神籬磐境の伝
神皇一体・祭政一致
《講演後の質疑応答》

■講師紹介
【講師略歴】松本 丘(まつもと・たかし)
昭和四十三年生まれ。皇學館大学文学部神道学科教授。博士(文学)。國學院大學文学部神道学科卒業、國學院大學大学院博士課程後期神道学専攻満期退学。國學院大學講師等を経て現職。神道史、神道思想史が専門。著書に『垂加神道の人々と日本書紀』(弘文堂)。

(「国体文化」平成27年3月号12~29頁所収)
続きは月刊『国体文化』平成27年3月号をご覧ください。

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