十一年目の「昭和の日」を迎へるにあたり

「国体文化」平成29年4月号巻頭言

四月二十九日が「昭和の日」へと改められ、施行されてから十一年、今では民間有志による奉祝式典が全国各地で開催されてゐる。それじたいは喜ばしいことだが、広く国民に「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」といふ制定趣旨が伝はつてゐるかと云へば、どうも心許ない。平成への御世代はりから二十九年、平成生まれが全人口の二割強を占める一方、敗戦前に生まれた者は二割を切つた。いくら体験者が自らの思ひを熱く語り続けたところで、眼前の生活に追はれる者たちからすれば「老人の昔語り」に過ぎぬ。今上陛下の御譲位が実現すれば「昭和」は「前の前の元号」になるといふ現実を踏まゑ、「昭和への思ひ」を如何にして喚起していくか。これは、現時点に於いて「前の前の前の元号」にあたる「明治」の御世を顕彰せんとする「明治の日」制定運動とも絡む大きな課題と云はねばならぬ。

なぜ、数多くある元号のうち「昭和」そして「明治」のみが祝日の名に冠せられるべきなのか。百二十五代を数へる天皇のうち明治天皇と昭和天皇を特別扱ひするものではないかといふ批判もあるが、これは「祝日」の意義に関する正しい理解を欠いた議論と云はねばならぬ。
かつての「祝祭日」にせよ、現行の「国民の祝日」にせよ、それらを制定する主体は「近代国民国家としての日本」である。「近代国民国家としての日本」からすれば、倒幕維新により天皇を中心とする近代国民国家を確立した明治の御世、そして敗戦といふ国家存亡の危機から復興した昭和の御世は、近代国民国家が瓦解しかねない情況を克服したといふ意味で、近代国民国家の基底に存する日本といふ原国家(=国体)そのものゝ濫觴たる紀元節(現・建国記念の日)と並んで記念されねばならぬ。逆に、「大正」を殊更に取り上げないのは「近代国民国家としての日本」が安定してゐたからこそであり、決して軽視してゐるわけではない。
〔金子宗德〕

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