
伊勢弘志 著『石原莞爾の変節と満州事変の錯誤――最終戦争論と日蓮主義信仰』
石原莞爾に関する著作は数あれど、その日蓮信仰に焦点をあてたものは少なく、研究は進んでをらぬ。この点に政治史研究者である伊勢が斬り込まうとした点は評価したい。
石原が国柱会に入会した動機を巡つて、その契機となつた大正九年四月の「春期講習会」における智學の講題が「観心本尊抄大意」と「安土法難史論」であることに着目した伊勢は、石原が重視したのは日蓮主義の国体論ではなく、「四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を譴責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」といふ「観心本尊抄」の予言ではなかつたかと論ずる。なほ、石原が「前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし」といふ「撰時抄」の予言を「最終戦争論」の論拠としてゐることは広く知られてゐる。石原が予言を強く意識してゐたことは確かであらう。
けれども、伊勢は予言を重視するあまり、石原の日蓮信仰において国体論の占める役割を過小評価してゐるのではないか。そのせいか、伊勢は智學の国体論には言及するものゝ、その国体論を受け継ぎ、社会科学の要素を取り込んで普遍的学問を目指した里見岸雄の国体学には全く触れてゐない。
石原と里見とは世代的に近いこともあつて、石原の国柱会入会直後から晩年にいたるまで交友が続いた。里見と石原とが肝胆相照らす仲であつたことは、伊勢も引用してゐる里見の自伝『闘魂風雪七十年』のほか、里見による人物月旦『順逆の群像』にも描かれてゐる。また、石原が里見に宛てた書簡には、「国体科学の進境、誠に感嘆の外無之候」(昭和四年七月十四日)、「日蓮は甦るか世界歴史上如何に重大なる意義を有するや」(昭和四年十二月二十九日)、「国体の本義を明確ならしむるの要、今日より急なるはなく」(昭和二十四年三月二十一日)といつた記述が見られ、石原が里見の学問に期待してゐることは疑ひ得ない。とりわけ、古典教学に立て籠もつて社会的現実から目を背ける日蓮門下を厳しく批判し、国柱会内部からも批判を受けた『日蓮は甦る』を高く評価してゐる点に注目すべきではないか。
(金子宗徳)
伊勢弘志 著『石原莞爾の変節と満州事変の錯誤――最終戦争論と日蓮主義信仰』
▼芙蓉書房出版
▼2015年8月10日発売
▼本体価格 三五〇〇円
▼ISBN 978-4-8295-0657-8
(「国体文化」平成27年10月号所収)