「国体文化」平成27年2月号 巻頭言
天皇陛下は、昨年の御誕生日に合はせて行はれた記者会見で、「先の戦争では三百万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないやう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、後に来る時代への責任であると思ひます。そして、これからの日本のつゝがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支へ合つて歩んでいけるやう、切に願つてゐます」と述べられたが、この御期待に私たち国民は応へ奉つてゐるだらうか。
まことに残念ながら、否と答へざるを得ない。抑々、日本国家のために一命を捧げられた方々の英霊を奉祀する靖国神社に国民の代表たる首相が公式参拝できぬといふ愧づべき情況が今日に至るまで続いてゐる。また、「安定した平和で健全な国」であるどころか、日本国憲法に拘束され、国家としての主体性を恢復し得ないまゝだ。近隣諸国に侵略国家の烙印を捺されても反論できず、領土を奪はれても大使の召還もできない。アメリカとは安全保障条約を結んでゐるが、それは対等な軍事同盟とは云ひ難く、集団的自衛権の行使を名目として大義なき戦争に巻き込まれかねない。
かうした体たらくは、第二次世界大戦後のヤルタ・ポツダム世界秩序に起因する。この世界秩序を是認する限り、「敗戦国」たる我が国はいつまで経つても不利な立場に留め置かれ続けるのだ。このまゝでは、近隣諸国を始め「世界の国々と共に支へ合つて歩んでい」くことは不可能だ。真の意味で「世界の国々と共に支へ合つて歩んでい」くため、私たち日本国民は新たな世界秩序の構築を目指さねばならない。
(金子宗徳)