拝啓 渡部昇一先生

―――「国体」論および「皇統」論に対する疑義
里見日本文化学研究所主任研究員 金子宗徳
本誌掲載分〔PDF版〕

 どうにも納得できません

初夏の候、先生におかれては御健勝のことゝ存じます。

私は東都の片隅で「国体」について考究してゐる一学徒です。この度、先生が『正論』(平成二十六年五月号)に寄稿されたエッセイを拝読したところ、理解に苦しむ点が少なくありませんでした。そこで、『皇室消滅』(中川八洋氏との共著)〔ビジネス社・平成十八年〕、『皇室はなぜ尊いのか』〔PHP研究所・平成二十四年〕といふ先生の御著書も読ませて頂きましたが、疑問は消えませんでした。

 定義が曖昧ではありませんか

『正論』誌上のエッセイで先生は「日本の国体、国のあり方―英語で言うとconstitution―は、世界無比で他国の参考になるような国体はない」と述べてをられますが、これは如何なものでせうか。

先生ご自身、『皇室はなぜ尊いのか』(以後、『なぜ尊いのか』)において「コンスティチューションは通常『憲法』と訳されるが、元来の意味は『体質』である」と述べてをられますが、「体質」といふのであれば「本体」がなければなりません。にもかゝはらず、先生は「本体」としての「国体」を追及することなく、「あり方」ないし「コンスティチューション=体質」のみを議論しようとするため、議論が混乱してゐるやうに思はれます。

百歩譲って、「国体」イコール国家の「あり方」といふ先生の定義を認め、そのやうな「国体は変わっていくもの」であるとして、これまで五度―①用明天皇による仏教信仰、②源頼朝による鎌倉幕府の樹立、③北条氏による皇位継承者選定権の簒奪、④明治維新による近代化、⑤大東亜戦争敗戦に伴ふ占領統治―にわたり国体は変化してきたといふ年来の御主張を受け入れてしまふと、非常に大きな問題が生じるのです。

それは、⑤との関連で、昭和天皇が下されたポツダム宣言受諾の大詔を如何に受け止めるべきかといふ問題です。先生も御存じの通り、昭和天皇は大詔の中で「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」、「国体ノ精華ヲ発揚シ」と述べてをられます。「護持」とは云ふまでもなく「護り持つ」といふ意味で、表層的な「変化」を超えた何らかの「本体」を想定した表現です。また、そのやうな「本体」があるからこそ、その「精華」を見出すことができるのではないでせうか。

そんなことを云うのなら、いったい「本体」としての「国体」とは何か、と先生は問はれるかも知れません。昭和天皇は、ポツダム宣言受諾の是非を巡つて開かれた御前会議において「国民の信念と覚悟」と表現されましたが、この場では「天皇による有形無形の統治と国民の様々な勤皇活動が相俟つて形成される社会的実体」と申し上げておきたいと思ひます。

また、これは「国体」の定義とは直接的に関係しませんが、①との関連で指摘しておきたいことがあります。『皇室はなぜ尊いのか』において、先生は「仏教を支持する蘇我氏の力がどんどん伸び、……稲目の孫である蝦夷とその子の入鹿の代には、天皇の地位を侵すような振る舞いが強まり、蘇我氏の催すあらゆる儀式が天皇に近い感じになってきた。仏教を重んじるから、おそらく神道を軽んじていたのではないかと思われる」と述べてゐます。確かに前半は記紀にも記されてゐる史実ですが、後半は先生の憶測に過ぎません。

「仏教がもたらした皇統の危機」といふ仰々しい小見出しを付けられるのであれば、もつと丁寧な論証が必要ではないでせうか。

 結論先にありきではありませんか

「皇統」といふ語が出ましたので、話題を皇位継承のあり方に移したいと存じます。

先生が『正論』に寄稿されたエッセイで述べてをられる通り、「日本の天皇は、国の起源にさかのぼる神話と繋がっていて、そんな王朝を持つ国は、世界中、そんなにない」のは確かです。私たち日本人は、この有難さに改めて思ひを致すべきでせう。

と同時に、私たちは現実を直視せねばなりません。現在の皇室典範によれば、天皇は男系男子により受け継がれることゝされてゐますが、現時点において皇位継承権を有する男性皇族は皇太子殿下を始め六名に過ぎず、今上陛下の孫世代には悠仁親王殿下しかおられないといふ状態です。

このやうな情況にあつて、先生は男系男子主義を厳守する立場から伏見宮系旧皇族の流れを汲む国民男子に「皇位継承者として復帰していただく」(『なぜ尊いのか』)べきと主張してをられます。

先生は、『なぜ尊いのか』において、相続には「種」を尊重し、血統を続かせる「貴種相続」と財産を守つて残す「財産相続」の二種類があり、「皇室の意義は貴種相続であり、財産相続ではない。戦国時代の皇室は経済的に貧乏大名以下のレベルだったが、断絶する恐れはなかったし、その地位を奪おうとする人もなかった。そして、皇室が貴種であることはみんな知っていた。その意味で、どれほど貧しくなっても、皇室の意義は失われない」と論じてをられますが、そもそも「貴種相続」および「財産相続」といふ対比、特に「貴種相続」といふ語は、私の不勉強ゆゑか初耳です。先行研究があれば御教示下さいませんか。

この「貴種相続」に関連して、先生は次のやうに述べてをられます。

ヨーロッパにはローマ帝国の貴種がばらまかれている。ローマ帝国の傭兵隊長(レックス)の子孫で、約五〇〇家といわれる。そういうヨーロッパ中に広まった貴種のなかから、ヨーロッパの王家はいざとなれば跡継ぎをもってくる。純度は薄らいでもいいが、庶民を王様にするのは嫌だというわけだ。
今度結婚されたイギリスのウィリアム王子の相手はふつうの人である。これはダイアナ妃以下ということになる。それでも、ウィリアム王子はチャールズ皇太子の息子だから貴種という感じがするけれども、庶民出身の母親が続くとどうなるのか。
「そんな王室は要らないのではないか」
という者が出てくるかもしれない。余所の国のことだからどうでもいいといえばそうなのだが、これで女王が出たら完璧に国民の王室尊重の心が切れる可能性もある。王様が貴種でなくなるというのは恐ろしいことなのだ。

確かに、ヨーロッパでは古代ローマ以来の貴種=王族と庶民とは厳然と区別されてをり、「貴賤結婚」に対するタブーが存在します。また、ヨーロッパの王族においては女系継承も珍しくありません。イギリスの王位は女王であるエリザベス二世の死後に長男のチャールズ王太子へと継承されるでせうが、それを問題にする動きなど聞いたこともありません。そもそも、エリザベス二世の王婿であるフィリップ殿下はギリシャ王家の出身ですが、二人ともヴィクトリア女王の玄孫に当たり、貴種どうしの結婚であるから問題にならないのでせう。その結果、国王と国民との間に殆ど血の繋がりは存在しません。だからこそ、国民の利益を大きく損なつたり、戦争に敗れたりすると国王であり続けることが出来なくなるのです。

一方、我が国はどうでせうか。確かに、清和源氏や桓武平氏など皇室の流れを汲む「貴種」といふ観念は存在します。しかしながら、母親の身分が低くとも皇位を継承した桓武天皇の事例などを斟酌するに、「貴賤結婚」に対するタブーは薄いと云はざるを得ません。さらに云へば、今上陛下と皇后陛下との関係も「貴賤結婚」です。この点について、国体学の泰斗・里見岸雄博士は「皇胤は皇族男子の賜姓降下及び皇族女子の婚嫁により国民の血の中に流れ下りて拡がり、国民の血は国民女子が、皇后、女御、皇族の妃等となつて入輿することにより皇統の中に還元し、民族の血は常に本末上下円環交流の弁証法的生成発展をしつゞけてゐるのである」〔『国体構造論』〕と述べてゐます。つまり、天皇と国民との間には血の繋がりが存在し、未曾有の敗戦を経験した後でも天皇を戴くといふ国体の基本原理に変化はなかつたのです。

かうした社会構造の相違に対する考察を欠いたまゝ、皇室の本質は「貴種相続」であり、その「貴種」は男系による継承でしか護れないといふ先生の議論は、残念ながら結論先にありきといふ謗りを免れないと思ひます。

 をはりに

以上、先生の「国体」論と「皇統」論について、承服し難い点を整理致しました。「保守論壇の重鎮」に対し、分を弁へぬ発言もあつたやもしれません。

しかしながら、「国体」や「皇統」といふ日本人の根幹に関はる問題に関して黙してゐるわけにはいきませんでした。先生におかれましては、私の思ひをお汲み取り頂けると幸ひに存じます。

敬 具
(「国体文化」平成26年6月号所収)

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